「 貸下金の始末は如何 」
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時事新報に掲載された「 貸下金の始末は如何 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
貸下金の始末は如何
近來政府は明年國會開設の準備として財政の整理に着手し鋭意これに從事する由に聞しが其整理の主眼とする所は從來政府に關係する貸借の如きは成る可く之を片付て清淨洗ふが如くになし財政の事に就ては敢て議會より喙を容れしめざるに在りと云ふ左れば彼の官有鐵道拂下の事の如きも元來は財政整理の一點より起りたるものゝ由にて其理由とする所は即ち徃年政府が華族銀行より借入れたる征討費一千萬圓の償還に在りと云ふ而して又聞く所に據れば政府にては近來頻りに貸下金の返納を急ぎ其年期内のものにても割引の法に依て速に償還せしめ明年度の歳計表中には一切國庫貸出の項を見ざるに至らしむる筈なりと云へり其事實の如何は我輩の知る能はざる所なれども假りに之を事實として見るときは國の經濟の爲めに聊か一言せざる可らざるものあり盖し政府が官有物を拂下げ其義務に屬する負債の償還を爲す事は其拂下の手續さへ不都合ならざるに於ては敢て異議する所あらざるのみならず寧ろ賛成こそす可き程なれども貸金の始末に至ては其方法に依りて國庫の損益となり取も直さず一國の經濟上に關することなれば决して輕々に看過すること能はざる可し抑も今の政府の貸下金なるものは其額如何程なるや統計を得るの方便に乏しきを以て之を詳にすること能はずと雖も歳計表の面に就て見れば所謂返納金なるものは舊藩貸、勸業貸、繰替貸、雜種貸、民業資本貸の五種にして返納金として政府に收むる所は兩三年來の豫算にては三十萬圓内外なれども今此五種の元金の總計は顧ふに莫大の金額なることならん而してこの貸金の性質は委しく知るに由なしと雖も其種類に依て之を見るときは或は舊藩より引繼ぎたるもあり或は民業保護の爲めに貸したるもあり又或は種々の事情(例へば士族救恤の如き)に依りて貸出したるものもあらんと思はるゝなり要するに此種の貸金は寧ろ情實に出でたるものなる可ければ其返納の方法も永年賦もしくは無利足等寛大の沙汰にして律するに尋常貸借の法を以てす可らざるもの必ず其多きに居ることならんなれば今一時に其返納を促さんとせば借人の迷惑は申す迄もなく既に斯る情實のある以上は貸方たる政府に於ても非常の損毛を爲すの覺悟ならざる可らず如何となれば尋常の貸借に於てすら其期限の短縮を申出すには==の法に依る可きこと勿論なるに况して此種の金を一時に引揚んとするには貸主の方にて大に譲る所なきを得ざればなり然り而して今政府は斯る非常の損毛を冐さゞる可からざるの必要あるやと云ふに我輩は毫も其理由を見出す能はず盖し明年の國會に先ち財政を整理して清淨洗ひたるが如くなし以て議會をして政府の處理に疑義を容れざらしめんとするは誠に美事にして當局者が潔白無私の心より斯る覺悟あるも尤も至極の次第なれども我輩の所見は少しく之に異ならざるを得ず=稱祓義=從來貸借の關係を一掃し一毫も借りたるも=====したるもの=く國庫をして恰も清淨無垢の義たらしむるとは當局者が自ら潔白を表する點に於て==は=ならんと雖も所謂=政の整理なるものは果して國庫をして清淨無垢の==たらしむるを以て上策となす可きや否や一國の經濟は一人の身代に異なり政府に貸借の關係は今の所謂文明富強の名ある國々と雖も亦之を免れず况して日本の如き多事多費の新革命國に其事あるは當然の理にして毫も恥る所ある可らず且つこの貸金の如きは舊藩政府より引繼ぎたるものもあり又其結果の善悪は兎も角も殖産の保護等專ら當時の國益と考へたる事に出したる金も少なからざる事なれば其貸出方に於ても強ち咎むべき事なきのみならず其貸出の道にして明白なる以上は年を逐ひ利を積んて(或は無利息もある可し)國庫に還り來るものなれば既に昨非を悟りたる今日に於ては或は之を意外の一收入と見るも可なり然るに今若しも急に之を處置せんとするときは借主なる人民に非常の困難を感ぜしむるのみならず政府に於ても亦非常の損毛を冐すものにして國の不經濟この上ある可らず顧ふに人民及び議會が政府に希望する財政の整理なるものは决して此の如きものにあらざる可し我輩は萬々政府が斯る處置に出でざる事を信ずるものなれども近來屢ば屢ば貸下金催促の報に接するを以て聊か鄙見を陳して以て其事實の有無を世間に問ふ者なり