「 内閣議長 」
このページについて
時事新報に掲載された「 内閣議長 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
内閣議長
近來世間に傳ふる風説に政府にては内閣總理大臣を廢し別に内閣議長と云へるものを置き一省の長官をして之を兼ねしむ可しとの議ありと云ふ眞僞は知る可らざれども今日の有樣に於ては先づ事體を得たる一説として見る可し抑も明治十八年の改革に太政大臣を廢して内閣總理大臣となし剩さへ日本政治上の舊習慣にて首相の位に昇るものは藤原氏に限るが如くに思ひしものを右の改革と同時に其習慣を破りて更に新事例を開きたるは尋常ならぬ處置にして畢竟名に拘らずして實を責むるの趣意に出で其期する處の結果は總理大臣をして彼の西洋諸國のプライム ミニスターの如く即ち英のソールズベリー、 獨のビスマークの如くならしめんとするに在りし事ならん實に今日の機宜に適したる改革にして當時我輩も賛成の意を表したる所なりしが人事は意の如くならざるもの常に多きの習にして扨その後の成蹟に就て見れば總理大臣の地位は西洋諸國の如く鄭重なる能はずして所謂「全局の平衡を保持し以て各部の統一を得せしむ云々」 の實を盡して遺憾なかりしや否やは我輩の窃に疑ふ所なり盖し今の政治社會の實際に舊門閥の頼みとするに足らざるは前の藤原氏の一事を見ても明白なる可しと雖も兎に角に何か一種の勢力ありて其間の平衡を保つは止む可らざるの要なるに然るに今の内閣は恰も同功同輩の人物を以て組織するが故に如何なる人物にても實際にプライム ミニスターの役を演じて其間の輕重を操つるは甚だ困難の事情なきにあらず若しも木戸大久保等の先輩をして今日に在らしめなば或はよく此間に處する事あるやも圖る可らずと雖も今の局に當る者を見るに其材能技能は兎も角も勲閥に於ては第二流(木戸大久保に比し)に居りて而も互に相匹敵して相下らざる人々なれば其間に彼是輕重の別を爲すことは甚だ易からずヨシヤ職制の上に於ては甲は乙の上に立ちて丙は甲の命を聞く可し云々と定め又或は衆議同意の上にて誰を推し彼を戴く可しと决するも永久に其實を見ることは難かる可し左れば伊藤伯の在閣三年の其間には政治上の出來事も少なからざりしと雖も之を伯の自心に問ひたらば是れぞ眞實伊藤内閣の本色を顯はして事を行ひたりと思ふ所のものは少なかる可し又昨年來黒田伯の内閣となりてよりは一體の氣風頗る前内閣と異なりたる所ありて世間にては是れぞ黒田内閣の本相なるべしと指目するものなきにあらざれども伯の心中には如何に感ずべきや外よりの想像にても其意見の十分に行はれたるものとも思はれず况んや伯の自身にはサゾ不滿足勝の事も多きならん蓋し勢の如何ともす可らざる所にして今日となりて見れば總理大臣の椅子も西洋諸國の例の如く特色を示すこと能はざるの事情よりして或は藤氏當局の當日に立還りて云々するの沙汰さへなきにあらず斯る復古の説は我輩の知る所にあらざれども彼の一省の長官をして内閣議長を兼任せしむるの議に至りては頗る今日の制度に適したるものと認めざるを得ず如何となれば當初今の内閣總理大臣を置きたるは彼のプライム ミニスターの實を擧んとの趣意なりしならんなれども=に職名を=して其實を見ざるよりは寧ろ今日の事情に=て實際に行はる可き便法を取り名實ともに擧るこそ政治の本相なる可ければなり今日の如く別に總理大臣の官を各省大臣の上に置き以て專ら内閣總理の實を責めんと欲すれば其任も重くして其人も亦難き次第なれども内閣議長として各省大臣の一人をして之を兼ねしめ單に内閣の議に首席を占むるものとすれば事體誠に穩當にして實際上の便利この上ある可らず盖し今日の有樣より想像するに今後内閣の更迭などは容易に望む可らざる事とするも所謂首相の地位の變更は時々これあるものと覺悟せざるを得ず然るに其變更の度ごとに困却なるは前任者の地位にして既に去る十八年の改革には新に内大臣の官を設け又昨年の變更には樞密院の設置ありたるを以て穩かに其地位の更迭を見るを得たる事なれ共是れは偶然の幸にして今後内閣の變更ある其度ごとに必ず新官の設置を見るの好機會もあらざる可ければ前任者の地位の爲めには甚だ不便にして之が爲めに其變更の機を滑かならしめざるに至るの事情なしとも云ひ難し然るに今内閣首相の地位を以て兼任のものとするときは斯る塲合には唯その兼任を解くに止まり黜陟褒貶の意を含むに及ばずして事頗る便利ある可し盖しこの兼任の議に就ては或は内外の例に依りて云々する者もある由なれども我輩は其先例の如何に拘らず實際事の便宜よりして其説を賛成する者なり