「法典編纂の不容易」
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時事新報に掲載された「法典編纂の不容易」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
法典編纂の不容易
今度編纂せらるゝ法典は西洋主義を斟酌したるものなりと云ふ我輩も今日我が人文の程度を視察して漫に西洋主義を斥くる者に非ざれども之を編纂する當局者の主意は全體學者流の完全を望みしものか或は然らずして目前に不都合を見ざれば足れりとせしものか法典を見るに先だち特に聞かんと欲する所なり若しも徒に日本の法學の進歩を示すに鋭にして成典の完美ならんことを求め金科玉條なりとて要もなく味も知れざる千百繁多の條項を設けて其盛膳佳羞の中より口に適ふものを取らんと欲するの趣向ならば其形は所謂燦然見るべきものに相違なからんなれども之に支配せらるゝ人民の身に取りては繁文の繁なるに度を失して社會の激動甚だしく産を失ひ身を滅すものさへ少なからずして其難儀殆んど云ふ可らざるのみか斯く實際の要用を見ざるものまでも一時に成文となして瑕瑾なからしめんとするは當局者の聰明と雖も決して能くし得べき所にあらず今試に其例證を示さんに彼の十州鹽田組合規則は如何、事の當否は一見覩易き所なれども當初これを編成せんが爲めには其筋の苦慮大方ならず樣々に考量を運らし久しく討議をしていよいよ是ならばと決定し扨實際に發布して見れば未だ幾ならざるに讃州地方鹽民の苦情起り到底一律を以て規す可らざるの事實現然たるより熟慮の結果たる組合規則も遂に一朝にして廢止となりたるに非ずや又彼のブールス條例は如何、これを發布するに付ても西洋の實况等種々に斟酌考量して文面上に於ては殆んど完全無缺なるものを編成せしかとも當業家は實地に不都合なりとて異論少なからず民間囂々として何れも今日に適せざるを論じたりしより年月の間、數度の會議を經過していよいよ急ぐ可らざるを認めたりけん是れも亦延期となりたるに非ずや然り而して其廢止となり延期となりたる所以を尋ぬれば一は地方の状况に於て許さずと云ひ一は年來の習慣と商人の品質に於て不合格なりと云ふに過ぎず其他蠶絲業組合規則の如き石油條例の如き或は發布せんとして止み或は發して後、悔ゆるもの皆是れ其始めに當りては當局者が啻ならざる思慮を費やせし上のことなれども遂に實行し難き遺漏あるを免れざるは畢竟ずるに當局者の學問才識足らざるにあらず實際の障害は推論以外にあるもの多きが爲めにして獨り法律のみならず人間萬事渾て此の如くなれば小心翼々唯過ぐるなからんことを勉るの外ある可らず漫に必要外に走りて繁文の〓なるを求むるが如きは社會の事變を手輕に心得る者にして殊に民法商法の如きは一事一局に限るにあらず机上の討論〓や〓くも〓俟ちて恰も多數決に〓〓又〓〓を設け想像の美景〓心を慰むる樣の次第にてもあらば〓〓に所謂備はらざる所なければ薄からざる所なきの理に均しく實際に要用ある部分も爲めに意外の不都合を生じて或は遂に收拾し難き錯雜を來たすこともある可し理想的に絶對的に法典の完美を欲するは無理なる注文にこそあれ一篇の相續法、一生の離婚法も發して大に愕然たることある可きのみ
扨然らば如何にして可ならんと云ふに我輩は新聞紙發行を業とする者なれば先づ近く例を本業に取りて其趣を説明せんに法典を編纂するには猶ほ我輩が活字を買入るゝが如くなるべし當初出版事業の未だ盛ならざりし時代には容易に活字を買入るゝこと能はざりしが故に餘儀なく一時に不要用のものをも準備し不本意ながら多錢を投ぜざる可らざりしと雖も輓近に至りては所々方々に活字屋ありて隨時に之を買入るゝの便利を得たるこそ幸なれば先づ必要欠く可らざるものを取揃へ後に至りていよいよ無くて不都合のものあらば又更に之を買整へ實際の要用に迫られて順次に增加し其完備したるものを見れば正に過不足なく不經濟なる冗費をなさずして濟むことなり即ち出版業者が活字を買入るるの法にして其法は洵に淺しと雖も移して法典編纂の心得となすべし何を苦んで社會の秩序を激動するの危險を冒し又實施以後の悔あるべきを惧れずして徒に學問上の完美を求むるに急進ならんとするや况んや西洋の法文を飜譯して文字までも澁難佶倔ならしむることもあらば百害を得て一利を見ざるの不幸あるべし我輩は當局者の決して此の如くならざるべきを恃むと雖も其發布に先だちて敢て一言を呈し條科の繁にして形の完全ならんよりは寧ろ簡にして目前に不足なきを限り活版の印刷局に整然として何十何百萬の活字を排列し實際不用の文字に錢を費すのみならず徒に塲所を占められて局の混雜を生ずるが如き不都合なからんことを祈る者なり活字は印刷の要用に應じて日々に買入れ法典の箇條は人事の要用に迫られて次第に增加す可きのみ