「賄賂事件の連累者」
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時事新報に掲載された「賄賂事件の連累者」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
賄賂事件の連累者
東京府會議員大岡育造氏より東西新聞に係る賄賂事件の公判は對審の中途にして證人の陳述に僞證の廉ありしより意外の連累者を生じ豫審廷に拘留せらるゝものあるに至りたるが元來この訴件の性質に於て賄賂と云へば既に美ならざる其上に塲所柄は人間最醜の遊廓に係り之が爲めに公廷の問答中、時としては聞くに忍びざる程の醜猥事あり故に連累者も引手茶屋貸座敷の主人番頭など申さば下等社會の者共のみならんには餘義なき次第なれども豈に圖らんや世間に名を知られたる紳士も現に其中に在るのみならず風聞に據れば今後取調の模樣に依りては猶ほ上流社會に少なからざる連累者を見るに至るやも計る可らずと云ふ事の眞僞は知る可らずと雖も斯くありては事體甚だ妙ならず勿論我輩は法律の區域に立入りて罪の有無を云々するに非ず又一個人の爲めに説を作すに非ざれども元來斯る醜猥の聲は事實の有無に拘らず都て世の表面に聞ゆることなきこそ祈る所なるに苟も其事の上流士人に牽連するとありては恰も日本社會の體面を汚すものなれば世の公安に關せざる限りは成る可く事を穩にし醜猥の範圍を廣くせすして其止まる所に止まらんこと我輩の特に希望する所なり或は取調の模樣に依りては猶ほ此上に證人を必要とする塲合もありとするも一通りの訊問にて相濟むならば特に召喚することなく、一時の召喚にて必要を辨ず可きならば特に拘留することなく、又或は既に拘留したる者にても本人の品位に於て逃走の心配もなくして且審問の實際に妨なき限りは保釋を許し又は責付に處する等便宜の手段もある可し法は固より厘毫も抂ぐ可らずと雖も其これを抂げさるの間に又一方に社會の風景を察して人事の美を装ふの工風も肝要なる可ければ其邊は偏に當局者の注意を要する所なり抑も人間社會は種々樣々の關係あるものにして單に一片の理屈のみを以て事を了す可きにあらず若しも社會の一部分に微瑕の現はれたるものを捕へ強ひて其全體を洗ひ出さんとして片端より細々の吟味を遂ぐるときは破綻百出して底止する處を知らず人間社會は遂に百鬼夜行の圖と化して止まんのみ、申すも穢らはしき事ながら彼の賣淫の如きは道德上の罪たるに相違なくして若しも其朋友親戚にして現に斯る醜行を犯すものあるときは面折廷爭して咎む可きこと勿論なりと雖も是れは斯れ一人一個相對の塲合に於て然る可きのみ社會一般の事は自から異にして一個人の例に傚ふ可らず例へば漫然たる江湖の人に向ひ誰れは何處に出入したり彼れは云々の不品行を犯したりなどと一々之を摘發して公然世に吹聽す可きや否や斷じて出來ざることならん若しも強ひて此種の隱事を公にせんとするときは唯世道を害して益なきのみ即ち一身の德義と社會の德義との區別にして此塲合に至りて人々の覺悟は不言不論、これを傍觀しながら獨り心に其醜美を判斷するまでに止まり社會の德風を重んずるが爲めに一個人の不德を黙々に附することゝ知る可し左れば今回の事に於ても訴訟の本件を明にせんが爲めに進んで其途中に意外の醜猥に逢ひ端なく之を公にするが如きありては最も遺憾なるが故に我輩は當局者が前後の思慮に怠らずして能く社會の美を成すの一事に注意あらん事を希望するものなり