「高等教育、帝國大學の獨立」
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時事新報に掲載された「高等教育、帝國大學の獨立」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
高等教育、帝國大學の獨立
全國の要素は種々多端にして軍備なり貿易なり農工商なり教育なり各々その適度に從ふて始めて國家の生存を期すべし獨り一部の事業に偏重を置て他に對するの權衡を失するときは是れ即ち禍の根源する所にして經世の宜しきを得たるものと云ふ可らず今我國の經濟に照し又軍備貿易その他諸般の要用に對比して教育の果して適度なるや否やを觀察するときは之が爲めに費す所の過大なるは一見明白なる事實にして人體に喩へて申さば頭部のみ過大過重にして四肢の之を支へ難きに異ならず教育の大切なるを知らざるに非ずと雖も世の識者が今の教育制度に顰蹙するは蓋し此邊の利害を案じての事なるべし左れば我輩も教育のことは最下等の簡易なる小學教育と學理を討究すべき最高等の學院と兩極端は止むを得ざる次第として其要用を認め他の高等教育は恰も糊口の職業を與ふるに均しければ官にては一切これと斷縁し國民の志すが儘に任すべしと論じて其理由は年來殘さず説明し敢て世間にも異議なき樣なれども論に負けて心に許さゞるものか未だ其實行を見るに至らず唯筆端の微力なるに赤面せしが一説に今の高等教育は時勢の要用に出でたるものにして百事文明の世の中となりたるゆゑ文明の學識を得たるものに非ざれば文明の政治を行ふに不適當なりとの根據より官吏製造の爲めに彼の高等教育に金を投ずるものなりと云ふ者あり成程今の世間にはあられ得べき議論なれども滔々たる天下の青年子弟は何れの邊に向て其方針を取りつゝあるや官途の光明はあらゆる社會に輝き渡りて其職務は閑に其俸給は豐なり名利の淵叢は官途を措て又他なきの有樣なるが故に立身出世と云へば皆相率ゐて仕官の道に向ひ狂熱おさおさ冷却すべしとも思はれざれば經世家は口を極めて其非を説くと雖も唯一心不亂に官熱を慕ひ百萬の候補者競爭者あるを物の數ともせず其〓一を僥倖せんとして倦むことを知らざるはきょうの實際に於て人の知る所なり假令へ官の手にて高等教育を奨勵せざるにもせよ若しも政府が法學士を要用なりとすれば招かずして法學士を出し文學士を採入せんとすれば即刻八方より候補者として顯はるべし百名にても二百名にても多々ますます需めに應じ學問の性質も人員の數も更に欠乏を告ぐることなきは我輩の〓して保證する所なり或は政府自身の手にて設立したる學校の生徒に非ざれば往々紛れ込む者多くして學力の適否不安なりと云ふか是れとても敢て苦慮するに足らず試験法なり又は他の證明法なり是を採擇するの方法宜しきを得るときは寧ろ漫然たる高等學校の卒業生を〓〓もなく採用するに優るべきや必然たるべし(今の官吏〓〓規制を賛成するに非ず)兎も角も官吏を〓〓せんが爲めにとて國の經濟に不相應なる教育費を〓かるとは餘り苦勞に過ぎたる次第にして啻に經濟上に宜しからざるのみか國家の實益に有用なる青年子弟をしてますます官熱の奴隷たらしめ不生産的職業の增長を助くるに足るべし何れの點より之を見るも政府が高等教育に力を用ふるは國經濟の權衡を誤るの甚だしきものなれば民間自然の發達に任せ漸く實利實益に有用の人物を養成せしむるこそ至當なるべし
帝國大學の獨立
近來世間にて條約改正の議論喧しきが爲めにや一時社會の問題たりしものも多くは跡廻しとなりたる中に帝國大學の獨立論もいつしか其聲を収めて恰も立消の姿となれり聞くが如くんば獨立の計畫も先立つものは經費なるゆゑ官の手を離れては今日の如き規模を張らんこと思ひも寄らずして爲めに奈何ともすること能はざる趣のよし果して然らば今後激しき與論の攻撃に逢はざる間は依然として政府の力を仰ぎ以て校運を維持することなるべし其の得失論は多年我輩の論説によりて讀者の既に知る所なれば暫く擱き何故に大學は獨立の資金を得ること能はざるやと竊に其事情を案ずるに爰に大學資金の出處として頼むべきものを擧れば第一政府より年々三十萬圓の利子を生ずべき巨額の資本金を貰ひ受くるにあることなれども國庫の性質に於て左る大金を恵むべき筋にもあらず又一時に元金を與ふるも年々に分割して今の如く定額金を與ふるも與ふるの儀に變りなければ人民の租税を處分するに好んで早計を取るべきにも非ずして所詮無益の談に過ぎず第二は帝室の庇蔭に依頼して政略の干渉を避くるに在りと雖も帝室費も亦是れ租税の一分部にして國庫金と撰む所なければ永く人民の與論に反しても之を與ふべきにあらず如何とならば國民の納めたる租税が帝室の名を以て不當に處分せらるゝを知りて之に喙を容るゝ能はざるときは遂に進んで帝室費全體を議せんと欲するに至ることある可ければなり即ち城狐社鼠を學ぶものにして大學の敢て爲さゞる所なるべし第三は全國の富豪に向て寄金を募るの一策なれども元來富豪なる者は錢の勘定に鋭敏にして爰に寄附せんとするに當ては先づ第一に其金の如何なる方法によりて消費せらるゝやを考へざるはなし然るに大學は官業の臭味を脱せずして往々算外の失費をなすこと少なからず若しも之を民間の教育家に委任したらば明に半額の金を以て同樣の教育をなし得可ければ富豪は假令へ教育に熱心なりと雖も好んで高價なるものを買ふが如き迂濶を爲さず即ち算數上爭ひ難き所にして是亦所望の限りに非ざるべし彼れも非なり是れ不可なりとすれば大學が獨立の資金を得難き所以も自ら明白にして而して今日の大學教育は國の經濟に照して不相應のものとせば今後の處置は唯これを全廢し民間に一任して務めて發達を計るの外なきことを知るべきなり