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last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

18890817西尊東卑・柚木了・2600字 高 橋 義 雄

今試に世界東西の國々を對比して一枚の取組番附を作るものあらば東の日本を西の何國に比較す可きや萬口一喙直に英國を以てすることならん四面海を環らして〓く大陸と相對するは兩國酷だ相似たり同じく北半球に在りて一年平均六十度内外の温度なるは兩國酷だ相似たり建國の古くして歴史上の事實の相類するは兩國酷だ相似たり即ち〓時の西洋人が日本を目して東洋の英國と稱する所以ならんかなれども是等は單に外形上の類似酷肖にして其人心氣風に至りては兩國互に相似ざるのみか寧ろ極端の相〓ありと申すも可ならん今英人の氣風を摘んで申せば冷淡にして物に動ぜず剛直と頑固とを等分に調合して一種の合金性を爲し之を〓ませども屈す可からず大きな靴を穿ちて大丈夫な衣服を着け武骨な身體に油濃き食物をつめ込んで思い〓みたる筋〓をのそりのそりと牛〓する其氣根の強きこと實に言後同斷にして從來英人に見〓まれたる國は恰も蛇に見〓まれたるが如く早晩其呑む所と爲り英人と戰爭する者は何程敵を殺しても後からのしのしと〓み來りて其氣根に負けるを常とす一般保守の氣風に富みて事に當りて用心深く二三度考えて一言を出し現在善事名案と知りつゝも横から叩き竪から錬え、叩きて錬えて萬々曲りの出ぬ處に至りて始て之を採用する習なれば其事を發言企圖する人々も亦氣根強くして何度失敗しても失望することなく今年負けたら又明年、明年成らざれば明後年と氣長く之に執着して大雷頭上に落來るも一度握りたる者は〓して〓して之を放すことなし試に年々英國の國會議院に提出する議案を見よ愛蘭自治案、上院癈止案、議員宣誓癈止案、英佛海峡〓〓案及彼の亡妻の姉妹と結婚を非とする議案の如き年々歳々同樣に出現して又同樣に失敗すれども發案者は相替らず平氣にして結局興論の成熟して其目的を〓する〓は氣長く辛抱する覺悟なるが如し國家の大議論に關しても其人氣の落ち附きたること實に前〓の如くなれば其風俗習慣等は百〓守りて改むることを願わず蘇格蘭の兵隊は田舍染たる縞の〓〓に親讓りの〓風を示しウエールスは掌大の邦なれども土人その邦語を改めざるが如き自から信ずること厚くして自から守ること甚だ堅く一徹頑固堅〓の一義を執りて〓として動かざる者にして世に之れをJohn Bullismとは云うなり或る人の説にジヨン ブリズムの行わるゝ社會には絶えて反動と稱する者なし云々とありしが電氣燈の明るきを見て知らざる顔して瓦斯燈のみを用い甚だしきは〓〓松明の今尚家に耀くようの世の中には如何〓〓反動の起こりようもなきことならん之を要するに英國は地理氣候等の外形に於ては頗る日本に似たれども其人心氣風に至りては大に相異なる實あるを見る可きなり

日本人の氣風は之に異なり人〓派出やかにして驚奇喜事の態を存し風向に舞い上る凧の如く動もすれば興に乗ずる癖ありて西洋にて云々と云えば是れは妙なりとて直に學び學者が何々と語りたりと云えば夫れも尤なりとて實行するは勿論、府會に云々の悶着あれば忽ち地方に傳染して縣會も亦同樣の悶着を試み東京の學校生徒がストライキ類似の狂言を演じたりと云えば地方にも日ならずして同狂言の外題が現われ尚お甚だしきは都會に〓闘申〓みの沙汰ありし間もなく各地方に其流行を見るが如き目から人氣の動靜する有樣を下す可きなり又我々文壇の士が時に一塲の想像説を畫きて試に之を世間に示せば間もなく之を實試する者あるのみか時としては其實試の急なるに〓ぎて發案者自身も其意外なるに驚き事に因りては窃に當惑することなきに非ず即ち我が人身水平の物に感じて鋭敏なる事實にして毎度我々の實驗する所なり凡そ感〓の鋭敏なる者は刺激に〓いて動揺するに毎に〓〓共に度に〓ぎて其平準を得がたきこと物理天然の約束にして從來日本社會には時々反動の變相を呈し本來の〓路に歸復する間に多少の時日を空うして國歩に障害を與えたること〓して少しと爲ざるなり按ずるに王政維新の後散髪脱刀を始として日新文明説の流行あり舊來の習俗を目するに舊弊の二字を以てして悉く之を破壊し去りたる其反動は神風〓の騷動と爲り諸藩不平家の暴擧と爲りて文明急〓の勢も亦自から沮喪したることなりしが明治十年西南戰爭の落着してより日新文明説が今度は自由民權節として政治社會を刺激したる其反動は儒教主義の流行と爲り士氣奇妙に〓いて刀劍その價を〓し琴棋茶の湯骨董古物が塵世奔走の士の間に重んぜられたる其反正の〓動は例の〓りに〓り〓ぎたるのみならず當時外交政治の手加〓に於て偏に西洋人を優禮したる等の意味もありたれば舞踏演劇洋服東髪上流下流相率いて唯何となく西洋を尊み東洋を卑みて所謂西尊東卑の勢を成すことゝは爲れり是に於てか漸く其反動を呈せんとするは日本社會の常にして〓來世の士人中には往々その非なるを唱えて非西尊東卑説を珍重する景色あるものゝ如く今日は正に其風向きの變り目なりとも申す可きか從來の例に因れば矯むる者も矯めらるゝ者と共に結局極端に走る傾きあるが故に此反動の勢も止まる所に止まらずして或は其平準〓を〓ぐることならん誠に苦々しき次第にして其〓〓急變の間に國歩全體の〓路を妨ぐるは勿論、國家理財の點より見るも多少の損失なきを得ず例えば社會的の反動に因りて一時學政の方向を變じ學校の教科書教授法に豫分の變更を見ることあらんか此變更に因りて全國學生の間に空費する時と金とは如何なる可きや集めて之を積りたらば中々莫大の者ならん〓んや其反動に伴うものは單に學政等に止まらず社會の人事を網羅して被服髪飾の微に及ぶに於てをや其前後の變更に因りて國の財力を消耗すること〓して鮮少ならざるなり凡そ前車の覆るを見て其後單に用心するは世上識者の任にして其用心如何に因りて人事の危險損害を防ぐことを得べく或は全く防ぎ得ざるも之を輕〓することを得るものなり目下佛國政治界の士人がナポレオン三世の前例に鑑みてブーランジエー〓軍に用心する深切なるが如き事異なりと雖ども其禍を未萌に防がんとする用心は同一にして今日我國の識者諸氏も社會反動の毒害を〓忌する念あらんか鄭重平氣にして今の世論の赴く所を考え是非得失を解剖して明に其守る可き所を示し反動狂〓の軌〓に向て一種の齒止めを設置すること正に其責任なる可きなり (以下次號)