「北海〓開拓」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「北海〓開拓」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

北海〓開拓

北〓道の面積は五千八百六十餘方里にして沿海周圍は七百餘里と稱し山岳河湖〓地等を除き其三分の一を開拓するも尚千九百五十三方里餘の沃土を生ずる割合にして日本國中〓利の多く富源の最も深きものは唯一の北海〓あるのみと申して可ならん左れば我經國の士も〓に此に見る所ありて彼の水戸烈公の如き親から蝦夷に赴きて開拓の任に當らんと當時幕府に建議したることありしかども徒に俗吏を驚かしたるまでにして議〓に行われざりしと云う此他開拓の策を抱きたる人々なきに非ざれども時勢奈何ともする能わずして明治の初年政府が開拓使を設置したるまでは大に之を實施する者もなかりしが開拓使設置以來十幾年にして今の北海〓〓に改まり前後凡そ二十年間、時に消長利鈍なきに非ざれども始終開拓の方針を取りて其年間に國庫の金を費やしたること凡そ三千萬圓に上る可しと云う斯くて其成蹟如何を云えば明治三年海産物〓穫高七萬九千二十五石餘其代價三十八萬九千六百十一圓餘なりしに同二十年には百三萬三千七百三十六石餘其代價五百二十六萬五千九百七十九圓餘となり明治五年陸産物〓穫高千二百九十石餘其代價七百六十九圓餘なりしに同二十年には三十七萬九千二百四十五石其対價八十二萬七千二十三圓餘となり明治八年鑛産物採掘高九萬四千七百六十貫目其対價千五百七十七圓餘なりしに同二十年には八百十四萬千二百八十貫目其対價十萬六千五百四十五圓餘となり其他〓畜山林田畑〓殖繁昌の跡少なからず又全〓の人口を申せば明治二年五萬七千四百二十六人なりしに同二十年には三十二萬千百十八人と爲り凡そ二十六萬三千六百餘人を〓加したる割合にして三千萬金を費したる結果は煙に非ず又霧に非ざれども今海外殖民地の例を以て云えば北米合衆國濠洲カナダは申すに及ばず亞弗利加に西洋移住民の到る所、數年ならずして〓落を成し〓て都會を成して大〓高屋軒を駢べ商工殖産一切の事孰れも同比例に〓歩して其〓歩の〓〓なること我が北海〓などの比に非ず左れば本國政府にては此等の移住民に對し又その殖民地を打ち立てたる頃を窺い本國政府は多少課税の特權を得て濡手で粟の利を〓むるを當とす然るに今我が北海〓は其山林河海田野の富を以て海外諸殖民地に比するも劣る所なき其上に政府の保護政策に金を費すこと彼の如くにして其成績の此の如くなるは比較上十分の奏功と云う可からざるものゝ如し即ち右三千萬圓の出費を以て二十年間に〓殖したる北海〓三十萬足らずの殖民に割り當つれば一殖民を得るが爲めに凡そ百餘圓つ、を費したる勘定にして〓〓開拓創始の際、事業困難にして出費多く殊に移住を好まざる我が内地人を奨勵して殖民の實を擧げんとする等その情實は無際限なりしならんかなれども〓を得て蜀を望む人〓、我輩は從來の開拓業を以て自から滿足すること能わざるなり然りと雖ども此事たる開拓事業に從事したる當局者その人の罪のみに非ず我國封建藩政の餘習、人民自から小乾〓を〓して隣との〓來も乙甲に考え〓して北海〓の如き榛〓荊棘虎狼の〓窟、世に云う鬼界嶋の觀を爲したるが故に身自から其土地を履まんとする念なきは勿論、山川市邑の名目さえ初めより承知せざるようの次第にして一種の語を用いれば日本國民の或る部分は夢の如く幻の如く北海〓を忘れ居たりとも申す可きか數年前の事なりとか元老院に北海〓中或る河筋の堤防案が現われたることありて時の參議院議官中より其説明役を出したるに議官は前夜に地圖を取り出し北海〓の山川村落地名十數個を暗記して一夜作りの腹稿を貯え扨て元老院に至りて見れば案の如く反對論の〓りしにぞ議官は辧舌滔々と北海〓の地理を説き何川は源を何山に發して更に何々川に合し何々村を貫きて何々の處にて海に入る若し此河の堤防を修めず其破損に任ずる時は春水秋〓何々村の蒼生は忽ち魚腹に葬らる可しとて此處を詮度と説き立てたるに滿院寂然として感服し堤防案も無事に〓りて説明議官の得々たる最中、何人は之を見附けしにや議官の説明筆記中地理山川の方角を間〓え村の名が山と爲り川が〓樣に流るゝ等〓方もなき不都合ありとの説ありたれば餘りの事に長官より其不都合を糺問したるに説明議官は〓落に構えて一笑を催したりとの奇談あり即ち政府部内の人も北海〓の談に至りては霧中に〓いたる一例にして或は開拓當局の人も當初は事〓に〓せずして〓分六ケしき〓文を爲し先ず北海〓の地圖を披きて其中央を都とし之れより四方に〓路線を引きて扨て工事に取り掛りて見れば都は沼地の中央に落ちて〓路は山豚の上に傳わり實施の困難を發見して之を中止するなどの塲合もありしことならん從來北海〓に於て一里の〓路を開〓するに尋常役夫を以てすれば少くも五千圓以上を要すと云うが如き單に地圖の面に於て〓路線を畫きたる等の事〓に因りて其工費を加えたるものにしてもあらんか或は三五年前まで煩雑なる物産税出港税等を課し漁業に從事する人民をして其苛細に堪えざらしめ彼の水産物の發〓を害して開拓事業の素志を空うせんとしたるが如き畢竟當局一二人の罪に非ず凡そ我が經世經國の士が共に北海〓に頓着せずして〓に之を忘れ居たるが爲めにして北海〓開拓の時運未だ熟せざりしものと云う可し左れば彼の三千萬金も決して無効の者に非ず其一部分は此時〓を作る資本として間接直接其向きの用を爲したる者なれば出費の多少、事業の消長、事の〓〓に属するものは亡兒の年を數えると一般、今更談ずるも無用として爰に斷然之を〓き多少の資本を抛ちて〓に作りたる開拓の時〓は一日も之を空うせず時に及んで改めて開拓の新計畫を爲すこと今日北海〓の事業に從事する者が當務の急として盡くす可き所のものならんのみ