「歐洲活劇幕漸く開かんとす」
このページについて
時事新報に掲載された「歐洲活劇幕漸く開かんとす」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
歐洲活劇幕漸く開かんとす
今や歐洲列國の關係は國力平〓の工合に因りて容易に動かす可きに非ず彼の東歐事件の如き毎度物騷なる評判を生ずることあれども爲めに列國の交態を破りて干〓を見る可しとも思われず至て心安き次第なれども爰に一事の行掛よりして或は變じて戰端とも爲り歐洲列國を震動せんとするものあり何ぞやブーランジエー〓軍の〓〓是れなり抑もブーランジエー〓軍は從來〓々の功〓なく試に其手柄を申せばチユニスに司令官たりし時、特に兵士を厚〓して其甘心を〓めたる位の事なれども巴里人〓落の風采に加えるに軍人流の態度を以てし身體餘り大ならず容貌險相あらずして愛嬌人心を奪うに足り其政治界に現れたるは忽然として彗星の如く主義も甚だ曖昧にして正體の見難きこと幽霊の如く特に名説奇案の人を驚かすものなしと雖ども之に面接して其談を聞けば尋常一樣の言にても語々快活且つ〓目ありて何となく肝に銘ずるが如く〓きものは其名を聞きて鬼をも挫く〓軍ならんと思いの外、〓く接すれば柔和にして誰れにも可愛がらるゝは即ち〓軍の天〓なり〓頃巴里府の交際社會にブーランジエー主義反對の貴夫人あり凡そ何れの宴會にても〓軍と同席を〓くるに〓或る人〓に之れに問いて政治上の異見は左る事ながら推して交際社會に及んで其同席を好まざるは〓〓〓便に非ざるべし云々と申したるに貴夫人は乃ち之れに答えて左ればなり一旦〓軍を同席して之れと言語を交わるときは〓の反對説も其時限り忽ち〓軍贔屓と〓りて知りつつ方向を誤るが故に扨てこそ同席を恐るゝなれとて其〓實を語りたりと云う亦以て〓軍の風采愛嬌、俗世界の人心を〓め得る妙あるを見るべく派手やかなる佛蘭西人の人氣に投じて其神輿本尊たる〓〓最も〓役なりと申す可し左れば彼のフエリー及びの〓〓〓氏等が〓軍の軍隊中に人望あり且つ政治上の才覺あるを見て銘々その器械に供せんとし之を政治界に手引きしたる頃は眞實或る政治家の器械人として誰れとて之を畏るゝものなかりしかどもビスマーク翁の〓眼早くも〓軍の人と爲りを看破し誰家の老〓ぞ寧馨兒を生む感ありしものにや翁は當初より〓軍の前〓を畏れて其一擧一動に〓目したりと云う盖しビクマークの〓軍を畏るゝは〓軍其人を畏るゝに非ず〓軍の人と爲り恰も佛國一般人の意氣に投じて其働きを結合する恐れあるを畏るゝならん現に今日の處にても上流社會思慮に富み共和政治の大切なるを思いナポレオン三世の再現を慮る人々は〓軍の野心〓長して天下の蒼生を誤る日あるを掛念するが故に〓軍の人望も自然此邊には薄けれども中以下多數の人民は多年佛國政治上の習慣、大人崇拜の性を成して人望の潮勢滿ち來れば千里〓〓として防ぐ可からず先般セーン撰擧會の際、〓軍が未曾有の大多數を得て〓にフロツケ内閣を〓覆したるが如き下流社會多數人〓の向う所を見る可きなり然るに〓頃巴里發の電報に據れば兼て佛國元老院中に開きたる高等法院の裁判にては右黨(王權黨の總稱にして議長席より見て右側に列するを以て此名あり)の異議ありしにも拘わらずブーランジエを謀叛人と認定したり云々とあり左れば〓軍は國を去りて〓に反賊の惡名を受け身は窮虎に似て〓を英國に負うものにして早晩その爪牙を張り最後の奮〓を試むるは勢の必至なりと云う可し而して其機會は來る十月の議員撰擧にあらんか聞くが如くなれば今回巴里の大博覧會開塲中政治上に騷〓ありては中〓大事を誤る恐れありとて固唾を呑んで謹愼する〓あるが故にチラー氏の博覧會内閣は〓會の終ると同時に破るゝこと勿論にして此際議員改撰の事あり人心激昻の機を與えたらば待ちに待ちたる佛國人、待ちに待ちたるブーランジエー如何で須更くも猶豫すべき久し振りにて國に歸らんとする〓軍、久し振りにて之を〓えんとする人民、意氣正に投合して議員改撰に好結果を占め元老院に代議院に〓軍黨が多數を得れば彼の謀叛人の宣告の如き反掌の間に取消す可きのみ世はブーランジエーの物と爲り扨て是れよりして人望を繋ぎ〓て金冠を戴くまでには或は兵を隣國に用い武功を以て人心を奪い其觀聽を〓かすやも知る可からず現にブーランジエー〓軍が曩にフエリー内閣に在りて陸軍大臣を辭職するや佛國の兵を用いるは東京の如く邊〓に非ずして更に之れより大切なる處ありとて暗に獨逸復〓の意を示し以て其評判を博したるが如き〓軍功名心の在る所、佛國人向背の存する所を知る可きなり尤も佛國内閣にして大博覧會を延期して之を來年まで待ち續け十月撰擧の其際に博覧會の重きに依りてブーランジエーの騷動を鎭せんとて内々其邊の考案あるやに聞けども一國内の都合を以て世界萬國を相手にする博覧會の期限を短長するも如何にや事實に行われざることならん即ち來る十月の撰擧は〓軍〓〓の〓する所、佛國禍福の分るゝ所、歐洲和戰の變する所にして之を歐洲活劇と稱するも可ならん盖しナポレオン三世は年三十前後にして大位を得たれば之を得るに多少の段階を踏みたれどもブーランジエー〓軍は今日方に五十左右、功名の念は〓にして殘る春秋は甚だ少なし即ち〓軍の〓〓に於て動もすれば功を急ぐ氣味ある所以にして來る十月の撰擧塲などには或は包まずに本性を露呈し成敗一擧悲惨劇を演出する等の奇觀もあらんか我輩は幕明け前より世人と共に之れを望見せんと欲するものなり