「鐵道の利用を吝む勿れ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「鐵道の利用を吝む勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鐵道の利用を吝む勿れ

凡そ世界各國中にて土地の割合に人口の多きは歐洲にて英吉利、白耳義、亞細亞洲にて支那の東岸并に我が日本國にして日本の土地に比例して人口の稠密なるは世界屈指の隨一なりと云ふ可し且つ我國の形勢は山多くして平地少なく封建の城下都邑の如きは何れも皆人の住居に便利なる平地を求めて群を成したるものにして此處に一群、彼處に一群、相互に掛離れてポツポツ散在する其趣を喩へて云へば日本國中到る處、多少の距離(多くは山坂)を隔て合ひて人を貯ふる池あるが如し然るに今一線の鐵道を以て此都邑と都邑とを聯接するは池と池との間に一條の水路を通じたるの姿にして池中の人は魚の如く爭ふて此の水路に由り此れより彼れに徃復するは即ち自然の勢にして日本の鐵道に特に乘客多き由縁ならん先年各地方にて鐵道發起の談ありし時、斯かる土地柄に鐵道を敷きて果して收益の見込ある可きや明言し難し左れば鐵道自身の收益は先づ之を第二段として此鐵道敷設に伴ふ地價の昇騰、事業の振起、將た土地一般の繁昌等間接の利益を期したる方大丈夫ならんなど思案したる人人もありしが扨て其功を竣りて實地の營業に取り掛りて見れば前條陳述の次第にて荷物も少なからずして乘客は意外に多く鐵道自身の收益のみにて立派に十露盤の勘定に合ひ偶然の果報を收め得て頗る得意なる向きも多しと云ふ特に東海道鐵道の如きは日本國中隨一の線路、沿道人口の稠密なるは古來他に比類なき處にして日本外史北條氏の卷、承久元年の一段に黎明、泰時帥[二]十八騎[一]而西、行三日得[二]十萬騎[一]、自[二]東海道[一]進とあるを見ても其地方繁華の由て來ること甚だ遠きを知る可し左れば東海道鐵道は所謂目拔きの線路にして今日の實際に於ても乘客の數は甚だ多く時としては其多きが爲め客の需要に應じ兼ねて後れて來る人人を謝絶し之を次回に廻はす等の混雜もあり鐵道の營業盛なりと云ふ可し國の爲めにも鐵道家の爲めにも誠に結構千萬なれども我輩の不審に堪へざるは斯くまでに繁昌する鐵道が午前に二回、午後に二回、發車を一日四回に限りて乘客の不便を顧みざる事なり比較を歐米諸國に取るは固より無用ならんかなれども凡そ彼の國中にて東海道に匹敵するやうの塲所柄には少くも二三樣の別線路ありて一日幾回となく往復し或は各線路競爭を開きて乘車賃を■(にすい+「咸」)じ取扱方を改め客の便利を謀りて止まざるを常とす然るに今我が東海道は何を申すも一線路にして往復の旅客を一手に引受け心安き營業の位地に立つものなれば責めては發車の度數を増し一日四回を六回とし若くは八回として人の便利を謀るこそ營業の本意なれ或は發車の度數を増せば營業費を増す可しと云はんか車の通行が多ければとてレールが磨滅す可きにも非ず石炭の消費、機關師の増員、多少の物入りは勿論なれども物入りの一點のみに着目すれば四回の發車を三回にし若くは之を二回にして利益なる可きやと云ふに决して然らず兎に角に既に鐵道を敷設して其利用を許すからには多き乘客の便利を期し多多ますます之を辭せずして事務の擴張を怠る可らず即是れ商賣の事なり我輩試に此事を擧げて之を其道の人に詰問すれば營業■(つつみがまえ+「夕」)■(つつみがまえ+「夕」)不手廻りにして機關車の數が間に合はず、存じながらに斯くの次第など答ふれども機關車が間に合はざれば何んぞ之を調達せざるや鐵道商賣に相應の機關車なきは武家に刀劍、物の具なきと一般にして職業に對し相濟まざる次第なり夫れとも實際不行屆とあれば止むを得ず一時の彌縫策として上等の列車を廢し之に易るに中下等を以てするも多少の便利を増すに足る可し今の上等車を見るに下等二三十人を容る可き塲所に僅に二三人の上客を載せ其運賃を問へば上等は下等の三倍なりと云ふ一人をして十人の席を專らにせしめ鐵道の會計に納る所の金は僅に三人分より多からず、十にして七を損し空く空車を運轉して錢を失ふが如き决して商賣の事にあらず或は百事整頓の後には上等列車も不利と知りながら鐵道の體裁に要用なる意味もあらんなれども今日の處は未だ體裁を云ふに遑あらず差向きの急として乘客一般の便利を謀ること緊要なる可し况んや鐵道の會計に利する所あるに於てをや上等列車は當分の間、廢す可きものなり以上所記は單に局外の評論にして多少性急の箇條もあらんが當局者に於ては實際其邊を斟酌して成る可き丈けの手順を整へ日本第一の鐵道たる東海道の線路に於て乘客の需要が發車數に超過し自然その不便の箇條を増して當業者は鐵道の利用を吝むには非ずやなど漫然たる局外の批評を招かざらんこと我輩の敢て忠告する所なり