「偏する勿れ」
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時事新報に掲載された「偏する勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
偏する勿れ
人生の食物は菜穀魚肉辛甘一樣ならず各人の好嗜に從ておのおの適する所あれども攝生の點より論ずるときは飮食の物は成る可く其種類を多くして一品に偏す可らず如何となれば人は博食の動物なればなり飮食にして斯の如くなると同時に人の心の働も亦種種無量にして武を嗜む者あり文を好む者あり理財一方に心を寄せて錢に勞する者あれば風流を樂んで閑に日月を消する者あり政事に熱心して奔走する者あれば學問に耽りて世を語らざる者あり何れも皆その人の天禀又教育に由て然るものなれども心の攝生法より得失を論ずるときは此心の働も勉めて其種類を多くして一方に偏することなく以て心事の平均を得せしめざる可らず如何となれば人は博知多能の靈物なればなり以上の理論にして違ふことなくんば我輩は今の日本社會に向て聊か遺憾なりと申す其次第を述べんに第一は在朝の長者に多能の人物少なきの一事なり封建士族の餘流固より遊藝等の嗜みに乏しく自躬から音樂美術を能せざるのみならず之を聽き之を見るの耳目さへ頴敏ならずして心を樂しましむるに足らず尚ほ之より以上に上りて推理文學の事に至りても特に長所なく近年文運隆盛と稱する世の中にてありながら在朝の長者が一書を著述し一事を發明工風して天下の耳目を新にしたるを聞かず其平生談ずる所勉る所は唯政治の一方のみにして偶ま閑あれば空しく山水に日を消するか若くは耳目肉體以下の快樂を買ふて政熱の煩鬱を洗ふに過ぎず殺風景なりと云ふ可し啻に殺風景に止まらず之を人生天賦の功名心に訴るに身に所得の智識藝能多ければ其種類に從て榮譽功名も亦多く、一方に意の如くならざれば他の一方に伎倆を現して名を博す可し其間に身を處して心事自から寛なる可きなれども畢生唯一の目的を政治上に定め政治社外に在ては身に歸す可き功名なく又心を慰む可き樂事なしとありては政熱の度、自から劇しくして地位得失の念も切迫ならざるを得ず何れも政治の運動に圓滑を缺くの一大原因なる可し第二今の都鄙の富豪なる者は何れも皆封建時代の餘流か又は維新以來の致富者にして其大數を評すれば君子の風に乏しく資産豐なれども資産の割合に勢力は微弱なるが如し蓋し百千年來士と農商と類を殊にして君子は錢の事を言はず錢を談ずる者は君子に非ざるの習俗に由て然るものならんと雖も左るにても今の文明社會即ち金錢の時代に於て其金錢の主人が尚ほ社會の暗處に蟄伏するは何ぞや我輩を以て之を視るに富豪が精神以上の思想に乏しく心事單一にして錢の外に思ふ所なきが故なりと云はざるを得ず或は大に財を散することあるも其法は住居の家を普請し別莊の庭園を作り主人自から解せざるの書畫骨董を集めて暗に錢の多きを誇るに止まり苟も耳目肉體の豪奢を離れては他に散財の道を知らず人文進歩の目的などに金を用ることなきのみか甚だしきは自家の子弟の教育費を吝しむ者さへなきにあらず其心既に肉體以上に在らざれば社會に於ける體面も亦その以上に重きを成す能はずして世間より之に對するの感覺は唯これを金持として視るのみ其金を除去るときは本〓無一物にして金と共に人の名も亦消滅する其有樣は彼の無藝能の政治家が好地位より落たる者に相似たり守錢奴として咎めらるるも〓に於て守錢奴たらざるを得ず心事いよいよ卑くしていよいよ錢を守るの必要を覺え恰も錢の外に一身あるを知らざる者なればなり
左れば今世の政事家が政事の一方に熱して■(上が「匈」+下が「月」)中に餘地なく富豪が錢の一事に心身を寄せて顧る所なきは人生無限の食物の中に就き唯その一品に偏して之を嗜むに異ならず心の攝生法に背くものと云ふ可し畢竟先天の遺傳生來の教育に由て知識の發達に不平均を致したるの罪なれば晩年の習慣これを一掃するは難かる可しと雖も時に自から省みて眼光を四方に及ぼし人間世界必ずしも政事のみに非ず錢のみに非ず他に亦た心身を慰るの道多きを發明して其道に就くことあらば天下自から勉む可きの事もあらん亦交る可き人もあらん况んや之を勉め之に交り精神以上の位に安心するときは却て近く身の地位を守り私産を保護するの方便たる可きに於てをや我輩は偏に今の官民長者の心事を寛にして一局部外に流暢せしめんことを祈る者なり