「英國學風」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「英國學風」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英國學校は重に紳士養成を期するが故に學生も亦之れに化して居常紳士らしく身を處する

は事實誠に然るものゝ如し今日本にて學生と云へば蓬髪粗衣して人前に出で言語必ずしも

修めず行状或は粗野なることあるも其學生たるの故を以て人皆な之を容赦するの習なれど

も英國の學生は之れに異なり學生なりとて身成りを崩さず衣紋髪飾尋常に修めて言語應對

作法に違はず時に交際宴會に招かれ紳士淑女と交るときは儀式通りの服裝を飾りて毫も其

禮節を略せず世間通用の交際禮儀は學生なりとて人之を假さず又假されんとするの念もな

く學生中に在りながら常に紳士の品格を保つは英國少年の特色なりと云ふ可し又特に感服

す可きは學生氣質の率直にして其眞面目を蔽はざるの一事なり今ケンブリッヂ、オクスフ

オルド等に至りて其の學生を訪問し文學宗敎の閑談より漸く時事に論及する等の事あれば

學生は満腔の熱心を吐露して毫も憚る所なく思ひ込んたる議論の筋を眞一文字に突き張り

て淡泊に所思を陳ずれども磊々落々の漫言を語らず心にもなき大言を吐かず才氣を恃んで

人を凌かず諧謔を以て人を愚にせず坐して言ふべく起て行ふ可き實着主義を心の底より固

信して一毫も讓らず一毫も假さず一心正直にして虚飾なきを見るべし即ち英國人民一般の

家風、特に學校書生の氣風にして愛す可く又敬す可きものなり扨て又大學校などに遊ぶ者

には何侯何伯の嫡子令孫若くは素封金穴の子弟、由緒ある人々も多きが故に遊惰自から勉

むることを知らず金を散すること土芥の如く一學期中に一二千圓の巻煙草料を費したりな

ど云へる豪奢談も多けれども斯る金滿家の子弟連は自から其向きの伴侶を求めて或は飮酒

組と爲り或は端舟組と爲り學餘の遊興樣々にして他の勉強派は之れに與せず然かも學校講

堂中には才學優等の人々が獨り尊重せらるゝの風にしてピーコンスフヒールド伯の小説に

英國の學校中にて才學上級に在るものは人に尊重せらるゝこと甚だしく政治世界の大臣と

雖ども决して羨むに足らずとあるも亦此邊の意趣なる可し且つ英國の慣行としてケンブリ

ツチと云ひオクスフオルドと云ひ學問地は一方に獨立するが故に學生品行の取締は殘る隈

なく行き屆き佛國巴里の諸大學が繁華なる市中に散在して書生は銘々旅宿に寄寓し酒樓絲

竹の間に在ると其趣同年の談に非ず盖し學問地が獨立すれば周圍の事情も勉學に適して郊

外風景の閑雅なるは以て其心情を慰む可く書籍館の富瞻なる博物美術古器物館の完全なる

は以て其見聞を廣む可く街頭の銅石像館内の寫眞畫仰て以て其志氣を勵ますべく古賢哲を

尚友して今學者を伴侶とし朝々暮々の所思所見總て學問一方にして心亦自ら之れに傾くの

趣向あるは英國學問地の効用にして其一方に獨立するの故を以て生徒の行状を監視するの

便利も多く例へばオクスフオルド學校地の如き學校幹事の一部分は時々土地内を巡行して

其生徒の行状を視察し學校の服制に從はざる者若くは酒を被る者、途上婦人と談話する者

凡そ此邊の箇條に觸るゝ者は夫れ夫れ召喚して理由を詰り校則を以て夫れ夫れ處分するの

習にして學生の品行を檢束すること頗る嚴密なりと云ふ可し扨て又各校在學の書生は固よ

り千差萬別なれども左まで拔群の者もなく偶々日本の學生などが途中より同級に加はれば

忽ち之を壓倒して鶏群中の孤鶴たること毎度見聞する所なれども英國書生の氣風として學

校のみを學校とせず學業成りて學校を出づれば廣き社會を學校として氣根強く其學路を進

行するが故に學校中にて毎度眼下に見下したる書生も多年偶々相見ることあれば復た呉下

の舊阿蒙に非ず彼れ如何にして此に至るや不審にも又面目なしとて自から慚殺することも

ありと云ふ今英國人の學風を見るに學校を出でゝ相替らず學に進んで止まざると同時に學

校に入る其前にも亦其敎育を忘れざるものゝ如く例へば中以上の家族にて年頃四五歳の子

女あれば爲めにガバルネス即ち保母を迎ふるを例とし保母は相應の學識を具へ身分品格卑

しからず子女をして萬端其命に從はしむることを期するが故に子女の父母一家族は恰も之

を朋友視して食膳待遇家居一切主人夫婦に異ならず斯くて子女を保母に托して幼少より之

れに母事せしめ家内に生母と敎母とを生じて恩愛と敎導とを兼ね併せ其學に就くの前、子

女の心性發生し來りて事物に疑問を生ずるの際、敎母の化導を受けしむるの趣向にして我

國の慣行、稚兒を無學無識なる子守女に托するものと敎化上雲泥の差ありと云ふ可きなり

之を要するに英國は由來久しき國にして門地門閥巖めしく上品なる家族に富むが故に其の

學校敎育の如きも良家の子弟を薫陶して英國紳士を造らんとするに在るものゝ如く我が海

外遊學者なども各々其向きの學風を合點し父兄の所存、當人の所望、先づ其期する所を定

めて徐に其學問國を撰むこと甚だ肝要なる可きなり               (完)