「官吏の國會議員」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「官吏の國會議員」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

官吏の國會議員

從來日本の官吏なるものは啻に役義の上に於てのみならず社會到る處に其光明を持參して私席の間に郷黨の禮を逆にし旅行の途に人民をして歩を讓らしむ蓋し是は獨り威張るものの罪にあらず因襲の久しき我國の人民が自尊自重の旨義を知らざるに由ると雖も有形無形ともに恰も人間の位を殊にして公然罷通る其名譽は誠に偉大なりと云ふべし西洋の文明國にては之を社會の公僕と定め別に智徳財産を以て世界の達尊となすと雖も日本にありては官吏職こそ實に功名の壟斷なれ、農事には風雨凶荒の危險常に絶えずして而も之に遇ふこと亦屡屡なり商業には物價下落、品物賣後れの苦勞止むときなくして爲めに損毛を蒙むること亦甚だ少なからず工作には原料の拂底、製造品の不捌等常に注意を要して油斷す可らず其他凡白の職業或は自然に、或は人爲に、均しく浮沈轉變を附帶せざるはなしと雖も獨り官吏に於ては時に免黜の沙汰あるべきのみ其俸給は年年一定して■(にすい+「咸」)することなく而も甚だ豐なる上に今は昔の封建武士にあらざれば文職に奉ずるのみにして特に軍役もなく勤務幾年老ひては慰勞の沙汰さへあり官吏職こそ實に利得の泉源なれ、名譽の壟斷、利得の泉源を占めて其勞働は如何なるやと云ふに之を農工商民に比すれば凡そ四分の一に過ぎずして日曜暑中の休暇は勿論微恙あれば缺勤も亦難からず官吏職こそ實に安樂の淨土なり

官吏の名譽も追追に其光明を失はしむべし俸給の利得も大に■(にすい+「咸」)ずる所ありて可なりと雖も是は暫く別論として我輩は差向き其閑なるに驚かざるを得ず蓋し人生身閑にして他事を思はざるはなし官吏が國會議員たらんと欲するも亦此故にあらずや衆議院議員撰擧法に官吏にして國會議員を兼任するも妨なきの定めなるを以て年壯有爲の官吏は近來頻に墓參視察等の事故に托し郷里に歸りて議員候補者の地歩を定めんと欲し甚だしきは在野の壯年輩と暗に競爭する者さへあるよし試みに之に問ふに事務の繁閑を以てすれば國會の開期は暑中休暇の少しく長き位のものにして敢て事務を澁滯するの患なしと云ふ成程同僚員の數も少なからざる可ければ左程の不都合なからんなれども凡そ一の職業に身を投ずるときは啻に定めの時間に限りて事を了すべきにあらず物に觸れ事に當る毎にその職業を顧み暫くも念頭を去らしめずして人知れず取調をなすこともあらん閑に似て閑ならざるは官吏も國會議員も同じ事にして九時出頭三時退出は必ずしも其間に限らざると共に國會の開期も亦開期中のみにあらず苟も其職に在るの間は一年三百六十日その責に任じて片時も之を忘る可らず然るに今一身にして右と左に公共の大任を引受けながら猶も不都合を見ずと云はば何れか一方は空虚ならざるを得ず或は是れにても苦しからずと云はば其人は官省に於て冗員たるの事實を自白するものなり數の最も明白なる所にして如何に説を作るも此事實は掩ふに由なかる可し既に冗員とあれば國家の經濟に於て許す可らず故に官吏の國會議員たらんとするは正に大に官吏を■(にすい+「咸」)ずべきの證左として見る可きものなり

今や民力休養の説朝野に喧しくして政費節■(にすい+「咸」)は其最も有効なるものなり而して政費中官吏の俸給は最も多分を占むるとすれば以上の如き無用の官吏を集めて徒に座席を與ふるとは經濟の本意に非ざるが如し歐州諸國の例を按するに撰擧法に於ては敢て官吏の國會議員たるを禁ずるの箇條なしと雖も行政機關の組立上より自然に議院を兼帶するの餘暇を與へざるが故に事務官にして議員となる者とては甚だ稀なりと云ふ洵に理の當然と云ふべし蓋し政略上より立論するときは官吏が議員を兼ては上長官と僚屬との間柄に由り互に意味を傳通して議塲に論旨を枉ぐるの■(りっしんべん+(上が「目」+下が「大」))もあるべく或は他議員が官吏の權威に會釋する樣のこともあるべしと雖も是は附屬の弊害に過ぎずして姑く擱き兎に角に官吏に本職以外の餘地を與ふるは本來經濟の旨に背くものなれば若しも之を不問に附するに於ては世人は忽ち臆測を逞うし政府は官の冗員を利用して國會に對するの爪牙と爲すものなりとて其論勢遂に一轉して租税の重きを訴るに至ることなきを期す可らず聞く所によれば政府にても官制の改革を斷行するよし果して然らば我輩は其一擧に於て大に冗員を■(にすい+「咸」)じ本職の外に又議員となるが如き餘地を得ざらしめんことを望むものなり