「人種論」
このページについて
時事新報に掲載された「人種論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
人種論
左の一篇の人種論は佛人グワスタヴァ ル ボン氏の原稿にして其論旨我輩の意を得るもの少なからず依て飜譯して以て連日の社説に代ふ
人 種 論
今の史學の研究法が大に改良進歩を爲し全く科學的のものとなりたるは實に兩三年來の事にして盖し吾人の歴史上に於ける知見と理想との一新を致したるは獨り近代古物學の進歩したるが爲めのみならず有形諸科學上の發見、與て大に力あることにて天然諸種の原因を以て其研究の料に供し歴史上の現象を以て星辰の運行、生物の化成と均しく一定不變の原則に順ふものとなすに至りたるも亦この發見の爲めに外ならずして古代の歴史家が以て天意もしくは偶然に歸したる處のものも今は全く是等の事には關係なく天然の原因の外何物にも歸す可らざる事となりたり盖し史學上に於て斯る新法の始まりたる重なる原因は有形諸科學の進歩したるが爲めにして萬物の進化上に過去の影響甚だ大なるの道理、ますます明白なりとすれば吾人は社會の現状を察し兼て又未來の事を知らんとするに先づ其過去の有樣を研究せざる可らず即ち博物學者が動物を説明するに其祖先の形状よりすると同じく歴史學者が吾吾人類の理想と慣例との由て來る始を知らんとするには先づ其古代未開の習俗より吟味する事肝要なるべし古來の歴史は唯歴朝の更代及び戰爭の事のみを記するに止まりて其關係する所甚だ廣からざるに似たれ共新法に據て之を研究するときは其中自から無限の味あるを發見す可し如何となれば近代の學者が歴史の研究に適用する所の方法は恰も博物家固有の研究法と同一樣にして人間社會は其發達の經歴に於て之を一個の有機體に喩ふ可ければなり社會胎孕學は動植物胎孕學に均しく共に進化の法則に支配さるるものにして社會胎孕學即ち文明開化の研究は今の開明社會の奇にして錯綜したる機關が吾吾先人の曾て久しく生活したる野蠻の境界より發迹したる其進歩の次第を説き吾人の思想、感情、慣例、及び訓範が人間の初代に根源したる所以を明にするものなり今此研究法に依るときは古學者の所見の如く年老ひたる兩親の肉を食する所の古代の人民と其老親に孝養を盡し其の墓上に哭する所の今の人民と婦女を以て一種族の共有に屬する下等動物として之を輕蔑したるものと交際社會の本尊として之を尊敬するものと不具の兒孫を抛棄して其の死を顧みざりしものと之を立派なる病院に入れて治療に心を盡すものとの間に一大鴻溝を見ざるのみならず吾人は唯斯くも懸隔せる時代を通じて斯くも相違したる思想、慣例、及び訓範を密結する一連帶の存するを認るのみ今の文明は過去の文明より發達し來り猶ほ其萌芽の中に未來の文明を含有するは吾人の信じて疑はざる所にして思想、宗教、工藝及び技術等凡そ文明の本體を組織する各元素の進化は動物系統に屬する各種動物の進化に同じく一定不變の法則に順ふものと知る可し盖し文明の成分たる各元素の發生と發達とに與て有力なる要素は生物の發達を支配するものに同じく其數甚だ少なからず〓し今日に至るまで其要素の如何に就き研究したるものなしと雖も二三のものの影響如何に至りては之を證明すること難からず而して其要素中にて最も重要なるものの一を人種となす之を詳言すれば即ち一體の人民に固有なる形體、精神及び徳義上の風儀の集合せるもの是なり抑も人種なるものが歴史上に現はるるに當りては則ち既に一種の特質を有したる時にして此時以後には變化を享くること甚だ稀れなり左れば埃及上古の遺物に彫刻したる當時の民種の形容を見るに左まで今日に異なる所なくして今の人種の大別は當時と雖も通用したるを證するに足る可し左れば諸種の人種の區別は歴史前幾十萬年の間に成りたるものにて他の動物の種類に於るが如く淘汰及び遺傳の妙機を寓したる環象の變遷より起れる徐徐たる變化の手段に依りて成りたるや疑ある可らず而して人民の歴史と其慣例、思想及び訓範の根源を知らんとするには先づ第一に其精神上より研究せざる可らず從來の學者の如く人種の區別を穿鑿するに之を形體上の特質に求むるは無益の勞とこそ云ふ可きのみ眞實人種の區別を精密になすものは夫れ唯心理學あるのみにして假令へ其外貌は相異なるも其精神の本體同一なる人民は同一の境遇に於て必ず同一の運命を有するものなりと云へり今此筆法を以て今時の英國人と古代の羅馬人とを比較對照するに頗る其要領を得るものの如し此兩人民の間に精神上密接の關係あるは明白なる事實にして即ち獨立不羈の氣象を有する事、其慣例を尊奉する事、他國を征服し殖民地を所有するの伎倆ある事等は雙方ともに同一なれども其外貌に關する事柄に於て兩人民の間に絶えて相類似するものを見ざるなり (未完)