「人種論」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「人種論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

如何なる人民に就ても論ず可き心理上の二大元素は氣力と才智との二つなれども一個人も

しくは人種の成效に關し氣力の働は才智に比して最も大切なるものなり羅馬の末年に際し

其人材は决して初代の時に讓らず有名なる畫人、演説家、著述者等は續々輩出せしかども

唯武骨殺風景にして國事惟れ憂ふる所の氣力家を欠きたり羅馬は唯是等の氣力家を欠きた

る故を以て其才智は甚だ劣等なれども却て氣力に富める人民の爲めに滅されぬ其他古開明

國羅甸、希臘がアラビヤ蠻族の征服する所と爲りたるも亦その一例にして歴史上にその事

例甚だ少なからず氣力は斯の如く人民歴史上の發達に欠く可らざる要素なりと雖も其文明

を談ずるには主として人民の才智如何を問はざるを得ず但し其才智は創造的にして苟くも

模倣的なる可らず往時のホイニシア人、今の蒙古人及露西亞人の如く單に模倣的の才智を

有する所の人民は幾分か他邦の文明に近づく事を得べきも决して文明其物をして進歩せし

むること能はず然れども古代の希臘人及び中世のアラビヤ人の如く一種の才智に富みたる

人民は世界一般の進歩に與りて力なきにあらず表面一通りの觀察にては銘々その精~と外

貌とを異にする所の人民にして一人種を組成するが如きものもなきにあらずと雖も少しく

注意して之を見るときは其外面の相違せる中に所謂人民の國性とも云ふべき一人種に普通

なる一種の特性あることを發見す可し英國人、日本人及黒人の如きは其例の著しきものに

して是等の人種の國性なるものは永代の間、同一の媒介、同一の慣例、同一の訓範の影響

を蒙りて一種の特性を養成したるものなり人種は猶ほ動物の種屬の如く極めて雜駁なるも

のあり又然らざるものあれども要するに雜駁の度少なきものは即ち人種の本色純一なるも

のにして例へば古代のブリトン、サクソン、ノルマン人種の相合して今の英國人種を混成

したるが如し然るに之に反して其人民の團體たゞ集合するのみにして十分に混同せざると

きは其種類常に純一ならずして到底一大人種を打成すること能はず且つ人種の混合ますま

す純一なるときは其勢力強盛にして隨て其進歩も速かなれども其反對に思想、口碑、訓範、

利害等相異なるものあるときは屡ば分離背戻の患を免れずして其進歩は常に遲々たるのみ

ならず時に或は全く停止する事さへなきにあらず是に由て之を見れば一國人民の歴史を知

らんとするに其人民の組成されたる根元を研究すること大切にして且つ人民と云へる詞は

决して人種と同意味ならざる事を知る可し元來帝國、人民もしくは邦國とは政治上の管轄

を同うし地理上の區域を同うし兼て又同一なる制度法律を遵奉する一團體の人民を稱する

ものにして其團體は同一の人種より成立する事もあれども又幾樣の人種を混ずる事もなき

にあらず而して其種類の不同甚しきときは到底これを混同歸一するの望ある可らず蓋し此

幾多異樣の人民が事情止むを得ずして一團體の下に生活すること印度人が歐洲人に從屬し

たるが如き塲合の例もなきにあらずと雖も其間に同一の慣例を造出することは望む可らざ

る所にして彼の幾種幾樣の人民を網羅したる大帝國なるものは武力腕力に依て之を壓抑し

たるに過ぎず唯その相違の甚だしからざる人民が互に相混じ絶えず彼是交通して地味、氣

候、慣例、訓範を同うすること久しければ次第に混同して二三世紀の後には或は一新人種

を成すにも至る可し

異種の人種混同して一種となりたるの例は甚だ稀なる事なれども余は曾て漫遊中ガリシ

ヤの内部なるタトラス山の麓に離居する住民中に之れを目撃したる事あり其記事は巴里地

學協會雜誌に載せたり

世界の年處を經るに隨ひ人種は次第に固定し異種の混同に依て變化することも亦隨て稀れ

なれども歴史以前の時代、人類遺傳の力未だ強からず慣例及び生活の形状未だ定まらざる

時に當りては外物の勢力非常にして吾々人類が其影響を蒙ること今日より甚だしかりしが

文明の進歩は大に其勢力を減殺して吾人をして其影響を避けしむるに至りたれども唯その

避く可らざるものは過去の勢力の影響にして人類の成長するに隨ひ遺傳の力は次第に重大

のものとなれり但し遺傳の勢力の人種の混合に與て大に力あることは事實疑ふ可らざる所

なれども實際に於ては雙方の人數に非常の相違なくして且つ形體及び精~上の組織も兩つ

ながら甚だしき懸隔なきを要するものと知る可し             (未完)