「人種論」
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時事新報に掲載された「人種論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
人種の混合に雙方の數をして甚しき不同あらしむ可らずとは動かす可らざる定義にして若
しも雙方相異の人種相混ずるに當り其人數に非常の懸隔あるときは少數の一方は多數の一
方の爲めに呑噬せらる可し例へば二三の白人種が家族を擧て黒人中に往するに何時しか亡
滅して孑遺を餘さゞるに至ること其常にして他國を征服したる人民が戰爭にては勝を奏し
ながら人數の爭に於て遂に劣滅したるの談は古來甚だ少なからず古のアリアン人の印度に
於ける又今の英人の印度に於けるは其例外なるが如くなれども右の兩人種は共に勝者と敗
者の混合を防ぐ爲めに巖密なる族別の仕組を設けたるが爲めにして若しも勝者が此制を設
けざる處には一般の例として數代を出でず敗者の爲めに呑噬せられざるものなし然れども
其亡ぶるや徒亡にあらず其經營したる文明の遺蹤は後に傳へて永久消滅する事なし埃及は
アラビヤ人に征服せられたる間もなく其戰勝の種屬を呑噬したれども勝者の遺物たる宗敎、
言語、技術等文明の諸要素は永く埃及に存して種屬と共に滅せず羅甸人種の歐洲に於ける
も之と現象を同うするものにして今の佛蘭西、伊太利、西班牙の人種は其系統に於ては一
滴も羅甸の血を傳ふるものにあらざれども數百年後の今日に至り彼等は猶ほ言語、慣例、
技術、材藝等に羅甸を傳唱して止まざるにあらずや然れども一種の人民が其文明を他種の
人民に傳ふるは必ずしも其勢力に強弱あるが爲めならず往々敗者が勝者に對して此授受を
なすこともなきにあらずフランク人種は百戰の後、遂にガロローマンの社會(今の佛國)
を征服したれども幾くならずして其社會の無形の勢力に壓倒せられたるのみならず自ら小
勢の人數を以て多數の羅馬人中に混同したるが故に形體上に於ても亦その爲めに征服せら
れたるものなり又敗者が勝者を征服したる事例の猶ほ一層明白なるものは彼の回敎諸國に
て其宗敎、言語、技術の廣く世界に弘まりたるは恰もアラビヤ人が全く政治の權力を失ひ
たる後なりし事を記臆す可し然り而して其不同の甚しき兩人種が侵入もしくは戰勝の爲め
互に相接するに至るの塲合には其混同歸一は到底望む可らざるのみか少弱なる一方の人種
は遂に絶滅に歸するの外ある可らず而してこの強存弱滅の現象は常に戰討殺伐より來るも
のにあらずして單に弱者の自滅に依るものなり其次第如何となれば優等の民族が野蠻國を
占領するときは其生計の方法一ならずして隨て營業の手段も種々なるより從來の蠻民に比
較し一層、容易迅速に國中の生活力を專有支配する事となるが故に前の主人たる蠻民は其
後に瞠若し只管辛苦して僅かに勝者の讒餘を求むるに至るは數に於て免れざる所なればな
り又開化の度大に相異なりたる兩種の人民相混ずるときは雙方とも其弊を蒙る中にも劣者
は優者よりも甚しくして速に其迹を絶ち恰も優劣の中間に位する人種を現出する事なれど
も斯る雜種の人民は啻に社會の進歩を助くること能はざるのみならず却て其退歩を促すも
のにしてこの優劣兩種混合の弊害は之を古代の開化民族の例に徴して明白なる可し盖し古
代の社會に於て族別の仕組を設け異色の人種間の混同を制したるは畢竟この弊を防ぐが爲
めにして若しも此仕組の設あらざりせば吾々人類は今の文明の曉に達すること能はざりし
ならんのみ斯の如き次第にして大に進化の度を異にしたる所の人種互に相混ずれば常に弊
害あるを免れざれども假令へ其形質は異なるも其發達の時限を同うするの人種相合ふ時は
其結果大に前に異なるものあり斯る塲合には其形質の相違は却て雙方の不足を補ふの利u
となるものにして即ち北米合衆國の如きは恰も既に文明の域に進み且つ相互に有uなる形
質を所有する人種の混合に由て國を成したるものなればなり然り而して同國の人民が敢爲
の氣象に富めるは獨り英國、愛蘭、佛國、獨逸等の諸開明國の人種より混成したる爲めの
みならず其人民の銘々も亦その國々の活溌敢爲なる種屬中より撰拔したるの實あるが爲め
ならんのみ (未完)