「人種論」

last updated: 2019-10-28

このページについて

時事新報に掲載された「人種論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

人種論(昨日の續)

吾人が前節に於て略説せし人種の消長に關する概則は直に移して以て歴史上幾多の出來事の説明に充つる事を得べし例へば此の勝者は光華ある文明の紀元を始めたるに彼の勝者は何故に無政無法の濫觴をなしたるか何故に東洋人は其氣風の類似したる同輩の諸國人に對して常に容易に其軌軛を置き且つ其風習を傳ふることを得るか、東洋人と西洋人との紛爭は甚だ激烈にして常に敗者の虐殺に局を結ぶは抑も如何なる次第なるやの疑問は之を前節の所説に照らして一見明瞭なる可く將た一種の人民は常に殖民を事として而も海外遠隔の諸國をして其威稜を仰がしむるは如何なる理由なりやの問題も亦これに依て説明する事を得べしと信ずるなり扨又こゝに一つの疑問は人類前途の進歩は次第に人種の不問を平均するものなりや將た又これを甚だしくするものなりやの一事なれども吾人は之に答ふるに文明の上層は常に昇騰しつゝあるものなりとの言を以てするものにして此事實の明白なると同時に亦その最下層に位するの國民あるを免れざるが故に上下兩層の間隙は次第に相遠かるの傾あるものと知る可し勿論最下層の人民とても絶えて進歩せざるにはあらざれども文明の進歩は前進するに隨ひ加速の運動をなすものにして後者は今正に吾人の祖先が吾人の今の地歩に達する迄に消費したる永時代を要する其間に前者は既に長足の進歩中にあることなれば若しも後者が其點に達する頃ひには吾人は果して何れの處に行く可きや苟も吾人にして此社會に存在する限りは後者より猶ほ遙かの前程に進まんこと疑なかる可し果して然らば人種の不同は社會の進歩に隨ひ益々甚しきを加ふるの次第明白にして文明の大勢には智愚均霑の恩澤なく而も智者は必ず愚者よりも利する所多きものとすれば其間の不同は代一代を經る毎に非常に揄チするの理も亦覩易きにあらずや

學理上の節に據れば各人間に不同を生ずる割合は幾何級數に隨ふものなるが故に非常の速力を以て進む可き筈なれども實際には斯の如く速からず其理由は疑もなく學者、文人、美術家、政治家等卓越したる人物の家に其緒を繼ぐもの少なきが爲めに外ならずして其子孫は衰滅して跡を絶つか否らざれば尋常一樣の凡俗に歸元するものなり盖し其問自ら一種不可思議の法則ありて非常に卓越したる眷属をば常に之を平均せしめて世間普通のものとなさんとするが如くなれども其然る所以のものは他なし一方に於て非常に優る所あるものは又一方に於て非常に劣る所なきを得ずして爲めに子孫の衰滅を招くものならんのみ世の英雄豪傑なる者を見るに多くは精神體格の釣合を失ひたる人物ならざるはなし而して腦髓の不平均は即ち解剖學上の怪物にして永久これを子孫に遺傳すること極めて難し左れば社會の進歩も亦一個人の如く其平準を超ゆること能はざるものゝ如し

且つ又近代分業の法大に開け社會下級の人民は常に一樣同等の業に服し爲めに其才智を發達するの機會なきが故に兩者間の不同は益々甚しきを加ふる事となりたり盖し今の文明の利器と稱するが如き諸器械を製造する機關師は前盛期の者に比して工風の多きを要するは勿論なれども今代の職工に至りては單に時計の一小部分の製造に從事して以て其生計を支ふるに足る可ければ之を其先人が種々に工風を凝らして時計の全體を製出したるの時に比し其才智を要すること同日の談にあらざればなり右の所説は單に學理上の論のみに非ずして吾人は曾て之を解剖學の説に徴し其眞實なることを確かめたるものなり人間の頭蓋骨を檢するに野蠻人中には其大さの差異眞に僅少なれども吾々の文明社會にては其差異の甚しきこと驚くに堪へたり左れば社會の上層より下層に達する解剖學上の距離は心理學上の距離と共に甚だ曠大なるものにして而して文明の進歩は益々その距離を擴張するものと知る可し斯くて人類の次第に開化するに隨ひ其同人種中に於ける差異も益々曠大のものとなるが故に文明の上進すると共に同人種中なる各人間の智力に非常の優劣を生ずるは理の當然なれども又これが爲めに世間一般の程度の進歩するも亦疑ふ可らざる所なり

本論の所説中文明の進歩に隨ひ一體の人種及び一個人銘々の間に次第に優劣の差を生ずるに至る一段の説は余が多年研究の結果なり讀者もし其詳細を知らんと欲せば余が隨時刊行したる著書に就て見る可し (未完)