「日本商工家諸氏に告ぐ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本商工家諸氏に告ぐ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本商工家諸氏に告ぐ

農商務省にては追て商法會議所條例を發布せんとするの見込にて去年末全國商工會員總代を招き右條例に就き何か諮問する所ありしと云ふ凡そ商法會議所の仕組の如き我が商工家全體の利害に關するものにして強て其條例を作らんとならば前以て其精神の所在を示し限りある若干の商工會員のみに限らず廣く全國其向きの人の意見を集むるやう責ては右諮問會の會議を打ち開きて諮問の大義を間接に全國に擴張して然る可き筈なるに然るに農商務省にては彼の諮問會の會議を祕密にしたれば我輩は其諮問案並に商工會員總代の答辨等を知るに由なく唯二三の新聞紙上に右諮問案の大要なりとて獨逸商法會議所條例を飜譯したるやうの者を載せたるを見たれども我輩は漫に其實否を信ずること能はざるが故に我が商法會議所條例に就ては今一言を下すことを好まず否、好まざるに非ず之を下すこと能はざれば是れは姑く他日に讓りて我輩は爰に歐米の事例に據り我が商工界の情實に照らして今より我が商工家諸氏に向ひ敢て一言を呈せんと欲するものありと申すは他に非ず凡そ歐米諸國に於ける制度習慣の長短は事に因り物に應じて固より相同じからず政治軍法工藝商賣夫れ夫れ其所長所短あるが故に之を採用せんと欲するものは研究參照彼此撰擇の工風を費すこと肝要にして偶然に他の制度習慣を導き偶然に之を力行せんとするやうの心得違ひもあらば社會其向きの局部に於て苦情迷惑を生ずるは勿論、一方には既成の習慣を破りて一方には新制度の實用を見ず新舊併せ失ふて徒に社會の秩序を紊るなどの奇相もある可し當局者の最も用心す可き所なり今世界強盛國中英米佛獨の四箇國を擧げて其國と爲りを吟味すれば英米二國は商政國にして佛獨二國は軍政國なりとも云ふ可きか即ち佛獨二國にては軍政を人事の首務として武譽を尊重するが故に歐州大陸國力平均外交聯合等の都合に因りては或は敵國の商品を斥け或は海關税を暴課して平時外交軍略の爲めに商賣取引を打ち壞すなどの例なきに非ざれども英米二國は之れに反し軍艦は商港を守るが爲めに造り陸海軍は商賣安を保つが爲めに備へ彼の東洋艦隊を始め多くの軍兵を遠方に送るも其殖民地並に居留地の商民を保護するが爲めにして佛獨にて軍事の爲めに商賣を蹂躙することあるに引き替へ英米にては商業の爲めに軍兵を用意し主客正しく其處を異にするの趣あるを見る可きなり即ち佛獨諸國の商工は自尊自重の大義を守り政府と相對して自家自立の社會を成すこと能はず政府を一種の惠救塲として人民動もすれば之に訴ふるの常にして何か著しき商工の事業を起さんとすれば先づ之を政府に謀りて其保護保證等を得るやうの次第にして之を保護保證すると否とは多くは政府當局者の意に存するが故に其權力は自然商工界を支配して夫れ夫れ其社會を獨立することを妨け或は軍國交通の爲めとて一手に鐵道を專有し強て人民の手を封じて之を所有することを許さざるが如き孰れも軍政國の處置振りにして商政國に有るまじき事共なりと云ふ可し之に反し英米商政の國にては商工各各一社會を成して他人の鼾睡を容る可くもあらず今春英國第二十九回全國商法會議所總會の席にて現宮内大臣ハルスベリー卿の披露したる演説中商業は時として立法を要することあれども立法を以て商業を生ずること能はず否、時として之を殺すことなきに非ず左れば國會議員には斯く斯くの條例は商業上に利益ある可しとて之を議决するものもあれども寧ろ彼の商業家が斯く斯くの條例こそ必要なれと數へ立てたる其目録中より拔萃して之を施行するに若かざるなり正味商業家が其商業を知るの深きは法律家の及ばざる所にしてウエストミンスター(英國議院の在る所にして議院の異名なり)は法律を市人に與ふれども市人は其材料をウエストミンスターに與ふるものなりと云ふも可ならん云云の一段は英國商業家と政事家との關係を道盡したる者にして商政國の市人輩が其位地の高くして其責任の重きを見る可し盖し英國の政事家は自から其分限を守りて商賣工藝學問宗教各各その社會の獨立することを許し之れに關する法律規則は其道の人の發議を待ち國家全體の利害に妨げなき限りは所望通りに相談して始めて法律の性質を附するの習にして各社會相對して互に之を敬重するの美風は實に欽す可きものあるが如し本年五月英國工藝院(ロヤル アカデミー)年會の際に總理大臣ソオルズベリー侯の演説中、工藝社會を目するにRepublic of fine arts(美術共和國)の名號を以てし此共和國は十分自治の力ありて他社會人などの干渉す可き限りに非ず云云の意を陳じたることあり即ち商政の國にては各社會より其分を守りて他を侵害することなく商賣工藝等を始めとして皆な其獨立の實あるを見る可し顧みて米國の有樣を見れば流石に拜金宗の本山にして國民全體重きを商業に置くが故に商業社會は自から其社會を獨立するに止まらず或は寧ろ政治界を侵して氣の毒にも政治家を支配するやうの次第にして英米二國商業と政治との關係は彼の佛獨等を始め歐州大陸の諸國に比して相異なるもの少なからず而して彼の商法會議所の仕組の如きも亦其一端として見る可きが故に逐次之を對比して其得失を講ぜんと欲するものなり           (以下次號)