「内閣の方向」
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時事新報に掲載された「内閣の方向」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
内閣の方向
世人の知る如く伊藤樞密院議長は去る十一日を以て辭表を差出したりと云ふ其辭職の理由如何は我輩の未だ知らざる所なれども世間の傳ふる所に據れば是より先き内閣の大臣中條約改正の事に關して陰に意見を異にするものあり其間とかく折合はざる模樣にて既に伊藤伯の如きは近來多く會議にも列せざる程なりしと云へば今度の辭職も或は其邊の事情より來りしにはあらずやなど説を作す者あり其然るや否やは知る可らずと雖も兎に角に内閣云云の噂ある今日に際して偶ま偶ま此事ありたれば世人は之に就て種種の推測を爲すことならんなれども明治政府に於て大臣の辭職は甚だ珍らしからぬ事にして二十餘年間に指を屈すれば其多きこと幾回なるや知る可らず唯政治の一方に身を寄せて進退を苟もせざるの聞えある伊藤伯にして此事ありしは少しく其平生に似ざるが如くなれども時の模樣により進む者もあれば退く者もあり政海の常にして毫も怪しむに足らず左れば我輩は一の伊藤伯の進退に關して又政海の事情に就き云云することを好まざれども唯此際に當りて今の内閣が其方向を一定せん事を希望する者なり抑も今の政府の困難は何れの邊に在りやと云ふに民間の反對論にもあらず又外交の始末にもあらずして唯その部内の折合の六ケしきに在りと云はざるを得ず世人の言の如く今の政府は事實に於て藩閥聯合の政府たることを免れざる其上に近來は功臣網羅とて從來異主義と認めたる人人をも引入れたれば其間の釣合の微妙にして之を操つるの困難は更に一層を加へたるものの如し若しも日本今後の政况をして今前の如くならしめば在朝政治家は從前の如く其半生の勞力を分つて内部の調停に從事するも可なりと雖も今後の時勢は果して斯る幕内の運動のみを許す可きや否や明年國會開設の後に至りて例へば今の條約改正の如き大問題の起りたるに際し若しも大臣中に意見の恊はずして内閣の不折合を致し閣員の進退に一致を欠くが如き擧動もあらば如何せん今日ならば其間に周旋奔走する者ありて無事に纏むるか若しくは一二大臣の辭職ぐらゐにて止むことならんなれども國會開設の曉には則ち然るを得ず議塲中の反對黨は之を奇貨として大に政府を攻撃し又或は銘銘その所屬を異にしたる黨派が議塲に紛爭を逞うする等何れにしても事體の不穩を致し其結果は意外の激變を馴致して政治上の秩序を紊るの恐なしとも云ひ難し左れば今日に於ては何は兎もあれ釣合の情實を一掃し其方向を一定すること必要なる可しと我輩の竊に信ずる所なり此議に關しては責任内閣云云の説もありて至極妙なりと雖も年來積習の藩閥内閣を一變して直に責任内閣となすは理論に於ては差支なきが如くなれども事實决して此の如くなることを得べからず又は愈愈藩閥政府の實を表白し例へば薩長兩藩力を角〓〓〓とにて劣者は退き優者の一藩人を以て内閣を組織しては如何と云ふものあり是も自から一説なれども今日の實際に於ては兩藩出身の人とても同藩たるの故を以て必ず其説を同うす可しとも思はれず現に今回の條約改正に就き薩長出身中にても某大臣は之に反對し長州出身中にても某大臣は之れに賛成なりなどの説さへなきにあらざれば旁旁以て其事の難きを見る可し扨て責任内閣も容易に行ふ可らず又藩閥優劣論も實際に不可なりとすれば今日の事情に於て内閣の方向を一定するの方法は異説者は去り同説者は留り説の異同を以て去就を决し留まる者は一定の方向を以て其地位を守るの外に策ある可らず若し又異同去就の其際に衆説紛紛として定まらざることもあらば其中の有力者が獨り踏止まりて衆論を排し斷然方向を定むるも可ならん然るに若しも當路者に其决斷なくして又も例の如く中和調停の策に出でんか幸にして或は一時の小康を得べしと雖も斯る彌縫の計策は以て永久を維持す可きにあらず他年を待たず形窮し勢迫るの時あるは疑ふ可らずして其期に至りては此事を説くも最早その甲斐ある可らず左れば今日の機會を幸ひに方向一定の策を講ずるは第一の必要にして或は其結果として偶然に一藩閥の大臣が悉く去て他藩閥の大臣が悉く留まるなどの奇觀を呈するに至るやも圖る可らずと雖も其邊は如何樣にても憂るに足らず唯我輩は今の内外困難の衝に當り紛を解き難を排するには斷然情實を排斥して内閣の方向を一定するの要を認むる者なり