「日本商工家諸氏に告ぐ」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「日本商工家諸氏に告ぐ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本商工家諸氏に告ぐ(一昨日の續)

凡そ法律の良否とは其文面の美惡を謂ふに非ず人民之れに安んじて其精神の滑に行はるゝと否とに在るは人の能く知る所にして彼の英國の法律の如き所謂習慣法にして前例舊規を根本とし昔の裁判を鑑みて今の訟件を判決し此判決を例として後の模本に供するの順序なるが故に突然英國内に入りて其法律を取調べんとすれば錯雜紛糾、亂絲の端緒を覩がたきが如く先づ以て茫然自失するやうの次第なれども顧みて獨逸國を見れば聯邦統一、日尚ほ淺く其法律諸規則の如き多くは新規制定に係り一冊の法規類典、一片の官令新誌を得れば各種の法律、一目瞭然、何の苦もなく其外形を見ることを得るが故に從來政法調査と云ひ或は制度視察と云ひ我國より歐洲に出張するものは調査の六ケしき英國を避けて視察の手易き獨逸國に向ふの氣味あるが如く事の實際に於ても獨逸法の英國法等に勝るもの少なからざる可しと雖ども我國の民度習慣將た其氣風等を究めず唯その法律文の美にして解し易きを見て直に之を辨譯して立て我が法律と為すが如きこともあらば其法律精神の滑に行はれざるのみならず人民或は當惑して之れに安んぜざるの奇相もある可し我輩は我が當局者と共に斯る奇相の世間に現はれざらんことを祈りて巳まざる者なれども人生功名の念あらざるものなく吾が何省何局に官たりし時、何々の名案を工風して何々の新法律を發したりなど云へる事は蓋し其向きの人の得意談にして此得意談を演するが為めに天上頻に新奇雲を釀して法律雨下の勢を呈するが如きは率土の民の當惑する所、又我輩の好まざる所にして特に彼の商工業等に關する法律規制は商業社會の秩序を動かし間接直接人の財産權に差響くものなるが故に成る可く舊慣を因襲して漸次に改良の歩を進め反覆鄭重滑に法の精神を普及するの工風専要ならんのみ

回顧すれば一昨年中ブールス條例の發布ありしが凡そ此種の取引所は商業社會の其中にて最も鋭敏なる部分にして其取引上に於ては種々の習慣故例もありて其秩序を維持するが故に一朝新條例を以て之を破壊し去るときは為めに商業上の安寧を害し到底人の財産權をも傷くるに至る可しとて我輩は當時條例發布前より毎度之を論辨したることあれども微意當局者に貫徹せずして條例は發布したるものゝ愈々之を實施するに至りて果して種々の苦情を生じ又樣々の困難を釀して爾來今日に至るまで其精神の行はれざるは決して偶然の事に非ず抑も歐米諸國にてブールスと云ひ、ストツク エキスチエンジと云ひ(歐洲大陸佛獨等の國にては相塲所をブースルと稱し英米等にてはストツク エキスチエンジと稱し甲は御役所風にして乙は商業家風なるは前回對比したる商法會議所の相違に似たり他日之を細述して其得失を評することある可し)其仕組は簡單なる者にして實際に就て之れを見れば東京市中の大根河岸にて人參牛蒡を賣買すると同樣、銘々勝手に買手を求め又賣手を見出して互に賣買するまでにして異なる所は直に現金を遣り取りすると定期賣買約束の法を用ふると唯此相違あるのみなり斯る簡單なる仕組を以て幾千萬圓の取引を行ひながら平常違約破談等の行違ひなきは彼の國商業社會の習慣、商人の信用堅固なるが為めにして商業社會の習慣も違ひ商人の信用も固からざる我が日本國中に突然此仕組を移し來りて之を實際に施さんとするは俗に所謂木に竹を續ぐと一般、前後不都合を免れざる事、數の當に然るべき所なり左ればにや今の農商務大臣井上伯は昨年十月新舊相塲所に關係ある人々を農商務省に招集してブースル中止談を演説したる其中、農商工に關する法律規則は政府部内より天降るものにては幾回の制定改正を為すも其結果は前日と一般、決して改良の眞面目を開くまじ必ずや人民即ち實業家の考案を盡したるものが天上するに非ずんば實際の効益を為す可らす云々役人がテーブル上の議論を以て法律を作り之れを以て實業家を追廻はすやうにては自治の本源は立たざる者と云ふ可し都て實業に關する事は何事に拘はらず常に其道の人の意見に由りて組み上げたるものを政府にて認可するが如く押し進み行かざれば營業上の自治も確乎たるを得ず云々と陳じてブールス條例流の法律は實際、物の役に立たざるを説き商工自治の良友たるを證明したることありしが今や其井上伯が在來商工家自治の事業たりし彼の商法會議所に向て新に會議所條例を作り己れ自から實業家を追ひ廻はすやうの進路を取らんとするの有樣あるは我輩が我が商工家と共に敢て疑惑する所なり商工社會の改良は成る可く商工家自身に任すべし從來商事勸解等の習慣なき處に所謂テーブル上の議論を以て商法會議所條例を作り物慣れぬ我が商工家をして右商事勸解等を始め新奇の事に當らしめんとするも決して改良の眞面目を開くまじ其例遠からず伯の嘗て痛論したる彼のブールス條例に在り (以下次號)