「日本商工家諸氏に告ぐ(昨日の續き)」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「日本商工家諸氏に告ぐ(昨日の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本商工家諸氏に告ぐ(昨日の續き)

過般農商務省にて全國商工會員に諮問したる商法會議所條例は果して如何の者なるや世間の風評は區區なれども我輩は未だ其箇條を確知するに及ばず否、之れを確知したりとて本來商法會議所に對して政府が條例を作ると云へる其精神を愛せざるものなるが故に條例の可否善惡の如きは之を度外に置て可なり我輩は我が商法會議所をして純然たる商工家諸氏の結合たらしめんことを期し徹頭徹尾右樣の條例に反對する者なれども農商務省の方にても曩に我が領事館等に由りて海外商法會議所に關する二三の書類を取り集め同省官吏の評定を以て之を條例體にものして試みに全國商工會員に示し其意見を聞かまほしとて過般の商工諮問會を開きたる位の運びなるべく當時諮問に與りたる商工會員總代諸氏は如何に答辨したるやを知らざれども我輩の臆測を以てすれば農商務省も總代諸氏も判然と心を决したるに非ず云はば考案最中にして愈愈眞の條例と爲るには縁因遠きことならんと思はるるが故に我輩は之を我が商工家及び當局者の熟慮に任せて今暫く之を擱き扨て我が商法會議所を在來のままに据ゑ置きて之れに改良を加へんとすれば其箇條固より少なからず差向き先づ其の會員を増加し商業組合の總代人及び諸會社の總代人の外に續續一個人を入會せしめ土地に名望ある商工業家を網羅して千人にても二千人にても多多ますます其會員の多きを嫌はず斯くて一方には衆智を集め一方には寄賦金額を増して會議所の事務を擴張し追ては西洋商法會議所の例に倣ひ商法部委員、國會部委員、一般商業部委員を始め土地特別の商工業に就ては夫れ夫れ常置委員を置きて其向の事務意見を調査せしむるの手配を立て又彼の商事勸解の如きも漸を以て其習慣を養ふことを期し英國商法會議所等の事例に據りて會員に對する勸解に限り最初申込みの謝金を半■(にすい+「咸」)するの便法を設け手近く會員相對の紛耘を和解して次第に實効を奏するに隨ひ次第に其仲裁の手を廣ぐるの工風なかる可らず何れも商法會議所に附屬する尋常一樣の事務なれども目下日本の商業社會は渾て亂雜不整頓にして商家は全體の利害に關せず銘銘勝手に立ち廻はりて一騎駈けの功名を爭ふものの如く同業全體の運動は一に纏まる所なくして外商整整の陣に對しては毎度失敗すること多く商業上の現况に就き又その前途の方向に就き時時尤もなる意見を出して暗に其運動を號令する等の機關なきが故に我が商法會議所は此亂雜不整頓の時に處して間接直接我が商業社會を指揮し其采配を以て全體の運動を掴むるの機關たらざる可らず左れば我が商法會議所は成る可く會員を多くして商業社會人材の府となり時時商政上の意見を定めて全國商工家の參考に供するは勿論、之を外國語に飜譯して海外諸國人に示す等の手順を立てざる可らず從來海外諸國人は日本商政上の状態を知るに適當の道を得ざるが爲め横濱居留外國人の組織に係る商法會議所の報告を取り寄せ若くは其意見を聞きて之れに信據するの例なるが故に我國商政の事情に關して從來諸外國人の眼に映じたるものは渾て居留外國人に都合よきやうの者のみにして一回營利的人の心眼を經れば光線種種に屈曲して先方に映する所の者は决して實の寫眞に非ず即ち海外の見物人を誤りて彼等の心中常に我國に不利なる判斷を生ぜしむるが如きは毎度有り勝ちの事にして我が條約改正等に就ても之れが爲め多少の障害を與へたるや疑を容れず左れば日本の重立たる商法會議所にては諸外國商法會議所等に向て今後通信交際の好を通じ年年その報告意見等を纏め夫れ夫れ之を飜譯して彼等の參照閲讀に供し彼等をして單に横濱居留人等の報告のみに由らず純然たる日本商工會議所の細報に接して我が商政上の眞相を窺はしむること肝要なる可し兎に角に我が商法會議所は時勢の然らしむる所、今の商業社會に對して重大の責任あるが故に漫に西洋商法會議所の例に倣ふを要せず我輩の所見を以てすれば彼の身代取調事務を商法會議所の一局部に屬して其事務の端緒を開くが如きも亦是れ當務の急ならんと信ず凡そ西洋諸國にては商人の信用堅固にして金錢の貸借に間違ひなく手形の約束に不都合なく商品の授受に不正なくして幾千萬の取引も多くは滑に行はるれども是れは商人の規模大にして一回信用を損すれば末代家の不面目と爲り結局大不利なることを合點するが爲めならんと雖も凡そ何れの國にても人の不正不都合を絶つには漫に其徳義心のみに依頼す可らず一方には徳義心に訴ふると同時に一方には形ある仕組を以て其不正不都合を制すること肝要にして彼の身代取調の如き即ち其一法として見る可きなり今英米等に行はるる彼の身代取調會社は全國到る處に支社を置き甲府の製造家が乙地の商人の注文を受けて新に其注文品を送らんとする等の塲合に當り先づ身代取調會社に就て先方商人の身元を質問すれば會社は電信郵便を以て乙地の支局に問ひ合せ身代の模樣は斯く斯くにして銀行との取引は箇樣箇樣と委細之れを取調ぶるの外に毎週若くは隔週に其向きの報告雜誌を發して之を各會員に配り會員は年年若干金(英國にては二ギネー即ち我が十四圓)を寄賦して右等の便利を得るの仕組にして商業社會の信用を保ち其不正を制するの好方便なりと云ふべく我國にても追て商業の發達と共に之を導くこと肝要なれども初めより一個人の手に任じては事業に重きを置かざるの掛念もあるが故に當分之を我が商法會議所の支務として其端緒を開く方最も適宜なる可きなり之れを要するに我が商法會議所は商業社會草造の今日、事業も多く責任も甚だ大なれども左ればとて政府の世話を仰ぐに及ばず商工自から其局に當りて自から其經驗を養ひ斯くて次第に其實務を盡すこそ事の順序に於て然る可き筈なれ所謂條例に追廻はされて猿が猿廻しに使はるるが如く他の政治家の指圖するまにまに横になり縱になるやうの始末にては俗に所謂猿眞似にして眞の狂言は出來ざる可し近來世上の有樣を見るに人氣は漸く商工界に向ひ有爲活溌の士人輩も漫に政治海に■(くちへん+「僉」)■(くちへん+「禺」)せず行く行く商工の流に入りて龍門の六六鱗たらんと欲するものも多く今後商工社會の事は商工社會の手を以て之を始末するの位地に達す可きが故に我が政府當局者も成る可くは干渉の手を袖にして商工の爲す所に任せ商工諸氏も勵精奮發その社會の事務に對して他人の鼾睡を容れざるやう自尊獨立して然る可きものなり      (完)