「舊内閣の辭職新内閣の組織」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「舊内閣の辭職新内閣の組織」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

舊内閣の辭職新内閣の組織

此程より内閣更迭の風説とりとりにして世人の耳目は全く此一點に集まりたるが如くなりし處愈愈去る二十四日の夜に至り各大臣は悉く宮中に參内して辭表を上り翌日に至り三條内大臣を總理大臣に任せられたれば何れ今明日の中には更に新内閣の組織を見るに至る事ならん歟事の案外に出でたるは世人の一般に驚く所なれども兎に角に内閣員が一同辭職し今日に於て圖らずも責任内閣の新事例を作り出したるは近來の大英斷なりと云はざるを得ず左れば今回の始末は毫も非難す可き所なきのみならず今後の佳例を開きたる偶然の功は掩ふ可らずして我輩の最も同意する所なれども唯昨今の時機に於て遽に此事ありしは我輩が政府の爲めに謀りて少しく遺憾に思ふ所なり抑も條約改正の利害論が社會の問題となりしより以來政府部内の議はイザ知らず世間一般の有樣に於ては恰も黨派競爭の議論となりて中止と云ひ斷行と云ひ四方に奔走して議論を鬪はすものは何れも黨派の臭氣を帶びざるはなく近日に至りては爭論軋轢の状、日に益益甚だしくして末流の間には動もすれば不穩の擧動に出でんとするの恐なきにあらざるにぞ政府に於ても頗る警戒する所ありて油斷なかりしに果して去る十八日の不幸を見るに至れり彼の事たる固より一個人の狂暴に相違なしと雖も其發狂は世間の黨論軋轢の餘勢に激せられたるものと云はざるを得ず如何となれば彼は世間に於て頻りに當局者の爲す所と稱する事を傳聞して之を眞實と心得、一人を除くときは以て天下太平なる可しと妄信して扨ては暴擧に及びたるものなる可ければなり狂人の擧動は固より齒牙に掛くるに足らずと雖も世間の廣き知見甚だ狹小にして彼の狂人と見を同うし博浪の一撃以て其意を逞うする事を得べしと心得居るものも少なからざる可し然るに當局者の遭難を距ること未だ旬日ならざるに内閣に大變動ありて而も條約の改正談も之が爲めに少しく澁滯す可しなどの説を聞かば斯る輩の腦裡には果して如何なる感覺を起す可きや彼等は事の眞相を察するの明なく唯目前の事を見て窃に得意を催ほして或は益益その狂風を養ふの種とはならざる可きや掛念に堪へざる所なり抑も今回内閣辭職の次第は源を條約改正の議論に發したること表面に然りと雖も其内實不言の處に〓〓入込みたる事情あるは情實政府の常態にして事の眞面目を云へば外の刺戟よりも寧ろ内の此情實の爲め今日の塲合に立至りし次第なれば此際に彼の暴擧な〓〓等の影響を及ぼすに足らず少しく事理に通ずる者の皆な知る所なれども盲目千人又千人の世の中にて徒らに俗人の疑惑を致すことはなかる可きや、今更云ふて甲斐なき事なれども折も折とて此際に此事ありしは政府の爲めに深く惜しむ所なり然りと雖も政海の事は大にして些細の故障を顧るに遑あらず當局者に於ても自から其覺悟ある可きなれば夫れは夫れとして扨て我輩が新内閣に向ての注文を述べんに前號にも論じたる如く内閣組織の任に當る者が先づ其主義綱領を定めて異説者を去り同説者を容れ閣内の一致を謀る可きは勿論、その組織既に成る上は更に天下に向て之を公示し新内閣員は共に同心恊力して飽までも一定の方向に進み而して若しも輿論の之を許さざるに至らば前内閣の例を追ひ一同辭職の覺悟を以て事に此に從はば庶幾くは世人をして其内閣の鞏固に信を置かしむるに足る可しと信ずるなり