「社會の風景を殺了する勿れ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「社會の風景を殺了する勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

社會の風景を殺了する勿れ

社會の成行は猶ほ一個人の運命の如し人の廻り合せは一種不可思議のものにして俗に弱目に祟目とて不幸にして一旦不運の境に陷るときは種種の禍害一時に蝟集し來りて遂には首も廻らぬ仕儀に立ち至ることあれども之に反して一度幸運の路に向ふときは爲る事、なす事すべて都合よく前途ますます好望の氣運を現ずるものあり一見偶然に出づるが如くなれ共决して偶然ならず盖し人間の心は案外に脆きものにして行路一旦の蹉きに忽ち平生の志を挫き首を回らせば人事すべて非なり果ては自暴自棄して益益逆境に陷るものなきにあらず又幸運に向ふものも之と同樣の次第にして其始め些細の成功よりして前途の望に誘はれ知らず識らずして益益日の出の勢を致すものあるは事實に疑ふ可らず顧ふに社會の成行も猶ほ斯の如く古來の歴史に徴するに事物創業の際には破竹の勢にして百事繁昌の色を呈すれども一朝の機に由り俗に所謂怪事の付くに及びては忽ち下り坂となりて漸次に零落せし例もなきにあらず明治の社會は維新以來百事改進の一方に進んで殆んど旭日の昇るが如く其間時として内亂暗殺等の不祥事なきにあらざりしと雖も其性質は何れも封建の殘夢を帶びたるものに過ぎずして是等の破裂は適ま適ま以て改進の氣運を促すの動機となりて社會の大勢は進むあるも退くことなし又明治十四五年の頃より官民の間は一種不快の感情を起して政論の不穩を致し在る部分にては支那流固陋論の再燃を見るなど天下の風景、何んとなく澁滯鬱屈の相を現し人をして顰蹙せしめたる事なきにあらざりしかども固より大勢運動中の小波瀾にして憂るに足らず實際に於ても固陋論の再燃消えて痕なし又一昨年は條約改正の中止に引續き保安條例施行までの珍事を見たりと雖も本年に至れば憲法發布の大典と共に大政の令を發せられ從來政治上の怨恨罪惡は之れを忘れて肚を擧て只管〓恩の忝けなきに感泣し國家〓〓の感を以て明年の國會開設を待つの外、餘念なく〓〓恰も〓の如しと云ふも可なり然るに數月前より條約改正の〓〓突然涌出して大に天下の物議と爲り甲論乙駁、〓〓皮肉を極めたる其〓〓の激する所か〓は一〓の狂人を〓して明治の政治社會に無慘の凶劇を演するに至らしめたるは我社會前途の爲めに返す返すも遺憾に堪へざる所なり維新以來暗殺の陋習はとかく跡を絶つ能はずして災に罹りし者も少なからざれども其遠きものは封建の餘毒より來り近きものは一種宗教の惑溺心より出でたるものにして即ち本年森子の事の如き其原因は政治にあらずして寧ろ信仰上の喪心とも稱す可きものなれば我輩は彼の狂者の所行を惡む傍ら社會將來の爲めには窃に之を齒牙に掛けざりしに今度大隈伯の難に至りては政治上の不滿喪心より來りしものと認めざるを得ず今後若しも政談の社會に此種の氣風を行はれしめ黨派の軋轢ますます甚しきを加ふるに及んでは社會の風景如何なる極に陷る可きや今より想像して不安心に堪へず即ち我輩が特に今度の行兇事件に付き遺憾を感ずる所以なり然りと雖も又飜て更に一方より視れば日本社會の前途は實に無量の望あるものにして二十年來教育技術の進歩は世界無比と稱し商工の實業も近來は大に發達の色を現し殊に政治上に於て本年憲法發布の一事は内に大に立國の基礎を固めて人民幸福の基を開きたるのみならず外に對しては世界の耳目を驚かし外人をして東洋文明國の虚稱たらざることを悟らしめ此有樣にして目出度國會の開設をも見るに至り官民ともに調和恊同して事に此に從はば内治の改良は申す迄もなく海外諸國に向て對等の交際决して難事にあらざる可し我前途の望は實に此の如くにして社會の方針を能く此一方に向け改進進歩、半途にし蹉躓の患を致さざるに於ては國運の萬萬歳疑ふ可らず彼の一時の兇事小波瀾に驚き大勢の運動を忘れて枝葉の彌縫策に忙しくし以て圖らざる處に怪事を生ずるが如きは我輩の最も取らざる所、又最も忌む所なり左れば社會の成行は一個人の運命に異ならず今日の有樣は恰も禍福分目の時節なれば社會先達の人人は意を強くして自ら勉め眼中無一物、唯改進の一方に進んで二十年の辛苦を空うする勿らんと切に冀望に堪へざるなり