「重きを北海道に置くべし」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「重きを北海道に置くべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

重きを北海道に置くべし(昨日の續)

〓論に記載したる烈公建白の文意に據れば北地開拓の一大事は事態頗る重要にしてコ川將軍親から出馬す可き程の者なれども當時の勢、之を實行するに由なきが故に烈公御三家の地位を以て將軍の目代として北地に移り北海全道を領して大都府を中央に建立し且つ耕し且つ屯し骨を北地の雪に曝すも費用缺乏して困難亦荐りに臻るも北海將軍として北門鎖鑰守護の任に當らんと敢て自から期したるものゝ如くなれども幕府は之を〓訝して前後遂に其議を容れず是れより後二十年を經て嘉永癸丑ペルリ提督の渡來あり續て露使フーチヤチンの來るありて北地の論大に起り翌安政元年の春幕府は堀織部正を遣はして蝦夷地方を巡視せしめ追て松前家の領地替を命じて幕府自から開拓に着手し烈公天保の〓爰に纔に行はれんとしたれども公は此時春秋高く且つ彼の開港論も起りて内外多端遂に其志を果すこと能はず追て戊午の大騒動と爲り北地開拓論も一時その命脈を絶ちたるの姿なりしが明治の初年開拓使を設置するに及んで始めて其實施を見ることとは爲れり盖し烈公北地の觀は當時露國の圖南を患へ親から蝦夷地に移住して其開拓の任に當り且つ耕し且つ屯し一種の長城を北門に作りて其鎖鑰を守らんとする者にして開拓の目的、専はら軍事上に在りしものゝ如くなれども今は時勢も一變して軍國の事務も大に異なり鐵道次第に開通するに隨ひ運輸の便利は次第に揩オて隣國一朝北海道を〓ひ兵を提けて來寇する等の塲合もあれば豫め其兆候を〓して最寄〓〓の兵を發し或は軍艦を差し廻はして夫れ夫れ攻防の用心を爲すに自然不手廻はりの〓〓を〓し結局屯田兵を恃んで一時を間に合はす等の心配もなかる可ければ今は開拓の目的を軍事上より殖産上に移して開拓の大任に當るものも亦その目的を以て〓〓さる可らざる筈なれども舊慣は一朝にして改む可らず〓〓其向きの士人中には北海道屯田兵の制を稱して〓〓整備の〓〓なりと〓と〓てますます其制を〓め〓とするものゝ如く軍規を以て農圃に及ぼし其行止の〓〓〓を〓するは固より一利なきに非ざれども一方には兵を〓〓して〓〓〓片手間にするが〓に〓用〓より〓〓にして収支相償ふべしとも思はらず畢竟時勢の變を知らず彼の軍事上開拓の議を執りて今尚その筆法を守る者にして我輩の感服せざる所なれども天保の昔烈公が重きを北地の開拓に置き「恐多くも征夷大將軍の御任に被爲當候へば御出馬被遊候て御直に御下知被爲在候ても可然程の御義に有之候」云々の一語に至りてはコ川三家の隨一たる水戸家の主公に非ざるよりは當時他に之を發言する程の人ありとも思はれず當時コ川將軍に北地開拓の任を望むは今の總理大臣を一寸引出して北海道開拓使と爲すなどの比例に非ず烈公も此議の行はれざるを知りて親から將軍の目代たらんとまで所望したることなれども其重きを北地に置きて開拓事業に熱心なりしは我輩の今に賛成する所なり但し我が政府にても明治の初年開拓使設置の際には北海道の事を重んじて先つ總理大臣黒田伯が自から其局に當りたることさへあり特に今日に至りては開拓事業も佳境に進みて彼の北海道炭鑛鐵道の如きものも漸く將に起らんとし從來既に着手したる殖産諸會社等の如きも次第に規模を大にして開拓の實を擧げんとするの勢あるが如くなれば政府はますます其事務を重んじ實は内閣員中に北海道事務大臣を置き一省大臣の地位にて殖産開拓の實務に堪ふるものを以て之に當らしむること肝要にして今英國などの例を以て云へば政府内閣員中に殖民事務大臣を置くの外に特別に印度事務大臣を立てゝ重きを印度に置くことなれども印度は領地濶大にして我が北海道の比例に非ずとせんか内閣員中重要の塲所に愛蘭事務大臣と云へる者あり愛蘭は大英聯合王國中の一嶋にして其本嶋に對するの關係は恰も我が北海道の如く然り然るに英國政府にては重きを愛蘭嶋に置きて政府内閣員中に愛蘭事務大臣を加へ専はら其事務を管理せしむるに非ずや此比例を以て云ふときは我が政府中に於ても北海道事務大臣を立てゝ重きを北海道に置て然る可きは勿論昔しの開拓は軍事上に在り今の開拓は殖産上に在るが故に古今事態の異を辨じて能く其當局者の撰任を慎み殖産上開拓期の實務に當りて着々歩を進むるやうの運びに至りたきことなり盖し人事自然の勢、固より相違ふこと能はず烈公天保の一議を以て北地開拓の端を開きてより明治の今日に至るまで盛衰消長は一ならず或は泣き或は笑ひ得意者も失意家も銘々幾多の蠢動を爲す其間に自から當初の目的に達するの順序にして事業の伸縮、議論の順逆、中間幾多の活劇は人事の舞臺に普通にして左まで意とするに足らざれども人事時勢を開くものは實に先見の識者にして天保年間各藩蟄居の中にありて夙に天下の大勢を看破し區々たる内地の塵土中に終るを屑しとせずして自から北海道將軍と爲り國家北門の長城たらんと奮然發念したる烈公の氣略は今の蝸牛角上に汲々たる彼の小政治家をして自から顧みて愧死せしむるに足る可し我輩は古今時勢の變あるを以て烈公開拓の方案を其儘賛成するものに非ざれども北海全道五百八十六十万里の沃土を以て犁菜の中に埋沒して今日只今に至るまで開拓の捗々しく行届かざるを嘆き我が經國經世の士をして今より一層重きを北海道に置かしめんことを熱望して巳まざるものなり (完)