「社會の交際に流の清濁を分つ可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「社會の交際に流の清濁を分つ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

社會の交際に流の清濁を分つ可し

人の〓は善惡醜清ともに物に感じ易くして時としては外物の爲めに甚しき不善汚醜を感染せらるることなきにあらず俗言朱に交れば赤くなるとは即ち此事にして教育家の最も注意する所なり左れば一個人の談を離れ社會全體の風儀に於ても亦同樣にして動もすれば惡習のために風儀を亂さるるの恐れなきにあらざるが故に古の〓〓家は此點に向て非常に注意したるものの如し封建時代の事に徴するに當時の制度氣風に於ては社會階級の別最も嚴重にして士族には諸大夫平士の列あり平民にも農商工の類あるなど其間にも又それそれの階級〓〓を存せし事なれども士族と平民との大別に至ては〓〓確乎として動かす可からず平日の交際禮遇は勿論〓人生の享有す可き權利自由に至るまでも其相違の〓常なること一方は君主にして一方は奴隸の如く恰も之を天然の約束と心得て敢て叨りに超ゆることなし是〓以て士族は士族とのみ交りて士族の一社會を成し平民は自から平民の仲間を成して兩者の間に絶て交際等の關係あることなし盖しこの種屬制限の方法は大に人〓の發達を妨げ世運の進歩を害したるに相違なしと雖ども又一方より考ふれば當時封建尚武の氣風を維持する爲めには自から必要なりとするの事情なきにあらず當時日本士族尚武の精神は神聖犯す可らざるものにて苟くも之れに汚塵を點ずるときは小にしては一身の面目、大にしては國風の汚〓にも關す可き一大事なれば如何にもして恙なく其神聖を保持するの工風こそ專要なるに然るに一方を顧みて百姓町人の一類を見れば實に言語道斷の有樣にして今世流行の辭を以て評すれば〓〓無力と稱するの外なきのみならず中には無恥無法の徒も少なからざる程の風儀なれば苟にも士人と伍を爲さしむ可らざるは勿論、若しも士人にして此輩の〓に立交はるに於ては次第に其惡風に感染して遂には〓有の精神を忘却するに至ることなしとも云ひ難し〓〓〓〓〓〓〓大改革を行ひたるとき城下の士族をして〓〓〓主着せしめんとの議起りしに或識者は異議を唱〓〓〓〓此議をして行はれしめなば〓〓たる滿塲の士〓〓〓〓〓〓〓〓百姓と爲り二百年來養育の〓〓は〓く無效に歸す可しとて痛く之に反對したりと云ふ封建の時代に士民の區別を嚴にしたるは社會の階級に尊卑を分つの成法なりと雖も其中自から一種族の性質を維持保護する爲め他種族の混淆を防ぐの精神あるは我輩の斷じて疑はざる所なり

扨て今の日本社會は維新以來政治上社會上の大變遷により全く舊習を一洗して門閥種屬の區別を廢し所謂四民同權の世となりて均しく日本の臣民たる以上は公私の權利自由に彼是輕重の沙汰なく隨つて平素日常の交際にも上下尊卑の懸隔を撤するに至りたるは人文進歩の兆として偏に喜こぶ所なれども熟ら熟ら人間社會の事相を察するに政治上に官民などの差等を設けて人の身分を上下するは昔日未開の陋習なりとするも人文自然の進みに連れ人の智徳の優劣即ち人品の高下により自から社會に階級を生じその交際を制限するに至るは勢の免かれざる所にして盖し社會の風儀なるものはこの間に發生し又たこの間に維持せらるるの實を見る可し世人の常言に上等社會下等社會など云ふは即ち社會の階級に上下尊卑あるを示すものにして事の實際には自から區別あることなれども今の日本社會の情態は却つて其區別を混雜して爲めに風儀を亂すの恐なきにあらず扨てその上下の區別は如何なる邊に在るやといふに一般に智徳の優劣即ち人品の高下に在ることなれども切に云へば世間普通に賤業と卑められ心ある者の爲すに忍びざる業を營むもの若しくは一定の職業なく阿諛諂笑に衣食して人の門下の犬たるもの其他これに類似の輩は社會の最下等に位する人品にして或は之を世の濁流に沈む者と稱するも可ならん然るに今世の風儀は社會の上位に在りて世の清流を酌む所の人人が日常の交際に往往この輩と伍をなすことなきにあらず聞く所によれば遊廓の開業式などに朝野の貴紳を招待することあるも別に之を怪しまざるのみならず得得として臨席するものもあるよし又何何會など云ふ其會の發起者もしくは賛成人の姓名を見るに歴歴たる上流社會の叢中に時として濁流の名を點ずることもなきにあらず其他上流の宴席に不似合なる人物を混ずるなどは珍らしからぬ談にして是は唯世間普通の例に過ぎざれども更に社會の表裡に通じて其眞相を認めたらば上下顛倒清濁混淆行く可らざるに行き交る可らざるに交るの有樣は筆紙に盡し難き程のものある可し或は斯る有樣の儘にて社會の風儀に害なくして體面を維持することを得ば夫にて差支なきことなれども其然らざるは必然の勢にして近頃世に發表したる醜事件の如きも畢竟此邊に起因したるものと云はざるを得ず日本社會の爲めに我輩の只管赤面する所なり

右の如く説き來れば今の社會の弊源は甚だ深きが如くなれども其實は敢て然るにあらざる其次第は抑も明治の革命に舊來の弊習を破りて國民の權利を同一に爲したるは門閥種屬の宿弊を廢したるまでの事なれども政治上〓〓の餘勢は延て社會の全般に及ぼし其極端の塲合には種種の奇相を現出し社會の秩序を動かしたることも少なからず當時或る集會の席に故らに新平民を上席に就かしめたるなどの談もありて要するに事物の混雜は斯る大革命の際に免る可らざるの數なりとして怪しむに足らず今日の有樣とても矢張りその餘勢振盪の中に在りて斯る奇觀を呈することならんなれば他日その勢の定まるに隨ひ遂に自から歸する所あるは疑ふ可らずして漫に狼狽するは無用なれども今の世に朱に交れば赤くなるの言も亦侮る可らずして上下顛倒清濁混淆の弊は社會の風儀を維持し其體面を保つの點に於て一日も捨置く可きにあらざれば世の經世家は流俗に流れずして世間の醉夢を其未だ覺めざるに呼起すの覺悟なかる可らず我輩は今の平等の人類中に更に上下尊卑の別を作らんとするものにあらず唯日本社會の風儀を維持する爲めに人品の區別をなし其交際上に流の清濁を分たんと希望する者なり