「鍬下年期」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「鍬下年期」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鍬下年期

凡そ事業の爲めに要する資本と勞力に對して生ずる處の利益をして尋常一樣の割合ならし

めんには新事業の起るを望む可らず左れば開墾事業の如きも鍬下年期を緩にして起業者に

安心収益の特典を與へざる以上は容易に着手する者なかる可きが故に現行法律に三十年以

内と定めあるものを延ばして五十年若くは六十年と改むべし况んや其三十年の後半期は再

願の情状に依り許否の豫め卜し難きものなれば斷然斯る法律上の段階を廢棄すべしとは吾

輩の夙に論じたる處なりしが今世上に傳ふる處を聞けば其筋にては地租條例の改正に就き

鍬下の事も審議中にありて其改正案には十年以内に成功すべき開墾事業に對しては別に鍬

下年期を定めず着手の年より數へて十年目の當年より成功の部分のみを丈量して其地價及

び地租を定め又其十年以上に渉るべきものには先づ三十年以内に於て適宜に鍬した年期を

定めて開墾の着手を許し尚ほ完成する能はざる時は更に二十年を超えざる範圍内に於て年

期の繼續追願を得せしめ其年期間は原地價に依りて地租を徴収し敢て修正變更する事なし

云々の大意なれば要するに新法の鍬下年期は十年以上五十年以下なる可しとの説あり説の

實否固より詳ならず且つ新法の發布迄には其草案に如何なる修正ある可きや是亦今より計

り難しと雖も吾輩は其法の極めて寛大にして今日正に開墾事業に從事し又次第に從事せん

とする資本家をして益々成功の念を勵まし又起業の心を喚發せんことを祈る者なり

然るに右の改正草案をして實ならしめんには五十年と云ふと雖も慥なる部分は三十年にし

て殘餘の二十年は唯繼續を追願し得べきに止まり其許否は豫め知り難くして甚だ不安心の

ものなりと云はざるを得ず故に苟くも開墾を許可する其精神にして奬勵の意味を含むもの

ならば寧ろ免許の年期に初より段階差等を設けず單に五十年若くは六十年として企業者を

して先づ安心せしめ一旦着手する曉には必成の覺悟を確然たらしむるこそ得策なれど我輩

の竊に信ずる所なり人或は云はん斯く徒に年期のみを長くしたりとて其長き年月の間には

天災時變の生ずることもあらん或は起業者の身上に不虞の禍を招くこともあらん兎に角に

内外事情の變遷に依ては當初熱心に計畫したる事業も必成を期するの念自然に薄らぎ隨て

故意に其事業を遲延せしめ低廉の原地租を拂ふて免許の年月間に巧に新開地の利益を貪ら

んとの奸計を運らす者もあらん或は實際に望むべからざる土地の開墾をも單に年期長久の

故を以て充分有益の事業の如くに説き立てゝ資本家を瞞着せんとする山師輩の出るなきも

期すべからず若しも斯る弊害の起らんには折角の法律も啻に益なきのみならず却て人を誤

るの具となる可きのみ故に先づ三十年以内として其許可の年期間に完成する能はざる時は

更に追願して繼續し得べきものとせば事の弊害を豫防して實際は企業者の爲めに不安心あ

ることなしとて説を作す者もあらんなれども我輩は之に服するを得ず凡そ人生利もあらん

なれども我輩は之に服するを得ず凡そ人生利もあらんなれども我輩は之に服するを得ず凡

そ人生利を計るの心は至極頴敏にして失得の間に些少の掛念あるも之れに妨げられて勇進

するを得ざるものなり故に今鍬下の年期を先づ三十年と定むれども跡の二十年も必ず許可

ある可し萬々相違ある可らずと言ふも其言を抵當にして私財を投ずるものは稀なる可し斯

の如きは則ち開墾の輕擧を防かんが爲めに二十年の期限を特に曖昧にして却て廣く企業者

の勇氣を阻むに異ならず經濟の策にあらざるが如し

以上改正案に就ての困難は之を要するに収税の遲速緩急に就ての議論なれども本来税とは

唯だ人民の手より錢を出し集めて國庫に入るゝまでの事にして其輕重緩急は以て國富を増

減するに足らず然るに今新地の開墾は不毛の地に人の勞費を加へ天與の遺利を拾ふものに

して假令へ猫額大の地と雖も開きて播種の地となさば既に一國生産の區域を擴めたるもの

なり經世の大活眼を開きて之を奬勵せんとならば些々たる繁文の煩しきを爲さずして企業

者に安心収益の餘地を與へ當局者は唯其出願に際し設計豫算果して其富を缺くことなきや

否やを鑑別査定するのみにして徴税法の如何は左まで心配するに足らず好しや無數の企業

者中に姦策を運らして徴税の法網を遁るゝ者あるも人間世界の通弊之を防ぐに道なし唯多

數を平均して國の富源を廣くすれば以て之に滿足す可きのみ且収税の道は必しも地租の一

門に限らず新開の土地次第に繁昌して民力次第に實する時は税源も亦隨て増殖し政府は地

租に與へて所得税に取り酒税に取り舟車税に取り又何税に何税に直接間接の税目限りなき

ことなれば新開地の税法は俗言大目に見るべきのみなりと我輩の飽く迄も主張する所なり

尚ほ終に一言すべきは海面埋立の事なり吾輩は曾て我日本の地勢として自然渺茫たる遠淺

の海面少なからざれば其埋立に從事して開闢以來の新利益を興さんとする者には安心の爲

め百年を期して免祖の沙汰に及ぶも可なりとの説を述べたることありしが所謂改正草案中

には此埋立の一項をも掲出して五十年以内の免祖期限を許可せんとの議ありと聞く吾輩は

當局者が能く開墾奬勵の道に注目怠りなきを見て茲(玄+玄)に宿論を反覆して尚ほ一考

を煩はし僅に五十年の税を愛んで萬年の國富を空うする勿からんことを希望するものなり