「人情の變化」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「人情の變化」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

人情の變化

西洋の立憲國に於ては申す迄もなく我國の事例に於ても凡そ政の當局者は兩三年に一回の

更迭ある割合にして古來の政變大抵は其數に漏るゝことなしと云ふ盖し其更迭を促す外面

の事情は種々樣々なる中にも當局者の一身上に就て見れば功を以て進み過を以て退くと云

ふ可きのみ古今東西幾種幾樣の人物が當局の兩三年目ごとに必ず一樣に失錯するとは甚だ

不可思議にして更に解す可らざるが如くなれども我輩の所見を以てすれば其原因は他にあ

らず時の人情の變化に外ならずして其働は微妙幽玄の中より發し遂に現はれて政海の變動

を生ずるものなる可しと信ずるなり抑も舊を厭ひ新を好むは人情の自然にして久しく山居

するものは山間の風光を嫌ふて海邊の景色を好み常に肉食する者が時に野菜を食すれば忽

ち其味の淡泊なるを愛し閑窓霖雨に困却して快晴を喜ぶは總ての情なれども甚しきは日和

の永續に飽きて却て一雨を望む者さへなきにあらず而して政治社會に於ては此人情に加ふ

るに人々愛憎の念も亦少なからずして不言の際に無形の働を逞うし一旦の機に發して種々

の形を現はすに至りては如何なる技倆勢力も之に抵抗す可らず當局者にして一たび此境界

に陥るときは最早致方なきものと明らめ一時其情鋒の鋭利を避けて他日の地を爲すの外あ

る可らず左れば政海變動の事情は樣々にして其樣々なる事情の中に兩三年目毎に必ず其事

を見る丈は恰も一定の規則あるが如くにして頗る不思議なるに似て不思議ならず唯是れ凡

俗世界の波瀾にして時に俗風に吹かれて動搖するものと知る可し例へば明治十八年の政變

に三條太政大臣が其世職を罷めて伊藤參議が總理大臣となり又昨年は伊藤伯の辭職に次で

黒田伯を現はし又本年に至りて過般の更迭を見るが如き内部の事情を尋ねたらば種々の口

實もあることならんなれども我輩は之を目して情海の變遷と認めざるを得ず又その更迭に

伴ふ所の事情に於て見るに十八年に伊藤伯が内閣を總理し又昨年黒田伯の之に代りたるも

同じく西洋より歸朝の曉にして又今回の政變中にも山縣伯が歸朝して閣議に重きをなした

る如き偶然の廻り合せとは云ひながら大臣の洋行は何となく其身に重きを加ふるの觀なき

にあらざれども是亦人情新を好むの例に漏れざるものにして社會の風景現在の事物と共に

既に秋を催ほし人情やゝ舊に對して冷ならんとするに際し恰も好し新人の遠方より來りて

渇望の機に投ずるあれば其人の來歴技倆は暫く置き單に目先の變りたると幾多の歳月、海

外の經歴、何か斬新の所得もあるならんとの想像より只管之を〓(疑の左に欠)待して重

きを置くの情あるが如し其待設けの當否は兎も角も其人の一擧一動以て一時の好奇心を慰

むるに足るの事實は之を評して俗界の奇相と云ふ可きのみ然ば則ち此俗情に投ずるには新

人必ずしも新機軸を出すに及はず唯物の流行の數年にして舊に復るが如くにして例へば前

年の執權たりし三條内府が今年の更迭に復職し今後の變革には伊藤伯を再出せしめ前後次

第に輪番を演ずるのみにて可ならんやと云ふに新奇を好むの人情は輪番の新舊急なるを厭

ふ、時樣の服飾再現なきに非ずと雖も三年前の古衣を裝ふて新奇を誇らんとするも未だ以

て流行世界を壓倒するに足らざるが如く其舊未だ全く忘れられずして俄に再現する時は却

てますます其流行を妨ぐ可ければなり聞く所に據れば昨今は内閣の模樣定まらずして何れ

不日に更迭ある可しと云ふ其際に内閣首座の地位は勿論その全體に新色を見るが如きは固

より望む可らずして我輩の期する所にもあらざれども更迭の度ごとに一二人にても成るべ

く新奇の顔出を以て社會好新の人情を慰め斯くて次第に新陳代謝を促がし遂には全く一新

して新閣色を呈出するにも至らば社會の滿足この上ある可らず我輩は今後の閣色如何を見

て以て社會人情の動靜を卜せんとする者なり