「帝室の位地」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「帝室の位地」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

帝室の位地(前號の續)

歐洲大陸諸國中には立憲王政國の數甚だ多く國勢民情の如何に因りて其治蹟は一ならざれども伊太利、白耳義等を始め之れに君臨するものは創業者若くは第二三世にして國家統御の日尚ほ淺く王家の基礎も固からざるのみか彼の白耳義國の如き千八百三十年和蘭と戰て獨立したる後、先王レオポルト第一世を白耳曼小邦の中より迎へ立て白耳義國王と為し今は第二世の治世にして第一世王の賢明なる偏に商工殖産を勸めて國の富源を深くせんことを謀り功蹟顕著、國人其コを懐はざるに非ざれども當國は境を佛蘭西に接し國中上流社會の人は總べて佛語佛文を用る等の事情よりして佛國共和政治の風は知らず識らず人民の氣性に入り動もすれば之を形跡に現はすが故に王家は人民の歡心を買ふて與望を繋がんことを勉め時に國王尊嚴の趣を欠くの擧動なきに非ざれども英國は王氣鬱然として國民尊王の心根は由來甚た深く王家と人民と相待て情愛濃密、和氣靄然、恰も双方を一家として家族團欒の樂あるが如き其中に自から分限を守りて互に勉むる所を勉め其習例の優美にして立憲王政國の模本に供す可きものも少なからず盖し今の英國女皇がイルサベス女王と相並んで古今の明主と仰がるゝは決して偶然の事に非ず女皇は國内を臨御するに重きを政治の一方のみに置かず文學宗教美術工藝商賣製造慈恵救邱社會交際等を葢ふて一樣同等に其事を重んじ又其人を尚んで曾て偏輕偏重の沙汰なく社會一般の事物をして均しく王室の恩露に霑はしむるが故にして初め皇婿アルバート殿下は心を商工美術等に寄せ之を奨勵するの方便として千八百五十一年ハイド パークの萬國大博覧會を開き其結果は南ケンシントンの博物館と為り工藝科學の奨勵と為り各製造業の進歩と為り英國全體を益したるは人の能く知る所なり即ち至難の位地に居て國民に愛慕せられたる所以にして爾後アルバート殿下は薨去したれども女皇は殿下と同主義を執りて美術工藝等をも奨勵し從來繪畫彫刻等の士に對して榮爵を與へ謁見を賜ひ或は親から其工塲に行幸したる等の例少なからず或は地理探險の為め亞弗利加内地に入りたる者、或は多くの危險を冒して南北氷洋に航したる者、凡そ此等學術の為めに身を犠牲に供せんとしたる者等は或は之を招見し或は其勞を慰めて之を優待することを怠らず又女皇は農事を重んじ禁園中に農園を設けて種々の草木を培養する由にて本年五月の事なりと覺ゆ英國中最も古く發行する農學雜誌記者を召し格別の思召しを以て其縦覧を許し且つ其記事を雜誌紙上に掲載することを許されたり畢竟農事奨勵の盛意に出でたる者にして盖し異數なりと云ふ扨て又倫敦季節の際は時々延賓館を開きて外國公使政府顯官或は諸華族軍人等を招見するは申す迄もなく良家の令嬢妙年已に二八とも為りて交際社會に出づるの前には先づ侍從長官に向て延賓館謁見の儀を出願し長官之を認可して謁見指令状を送るときは是れぞ即ち令嬢が交際社會の初陣にして禮服盛装、薔薇或は百合等の花束を胸間に飾りセント ゼームス宮、若くはバツキンハム宮へと押し寄せ扨て延賓館に案内せられて女皇に謁見する風采容儀は人の注意する所にして其塲所に慣れぬが為め自然後れを取るものあり或は進退優美にして後來交際社會に出づれば天晴れ鶏中の鶴たる可しとて望を屬せらるゝものもあり何れも社會の談柄にして其評判も面白く交際上に光澤を添へて人情を和らぐるの一端たる可し即ち英國女皇陛下は交際社會の本尊と為りて其社會の衆生に彼の赫灼たる光明を放ち自然之を愛敬して之を崇拝するの念を起さしむるのみならず又他の社會に對しては貧困を憐み廢疾を傷み或は高齢の翁媼を恵み同時三兒以上を産みたる者は女皇御手許金の中よりして一兒に付き一ギネーを下賜する等の慣例もあり其温潤靈妙のコは圓滿無量、社會の人心を緩和して不平疾惡を融解する其功力不思議なりと云ふ可し凡そ帝室の葢ふ所は萬物廣大無邊にして政治の如きは一端に過ぎず然るに顧みて我國を見れば或は舊來の流儀に因りて政治以外に大事なきが如く政治家一時の方便とは申しながら凡俗なる政治上の困難を和解せんとするに靈妙なる帝室の御威光を拝借せんとするが如き塲合もあるは酷に評すれば帝室をして下界の危機に近つかしむるの姿にして經世家の見るに忍びざる所ならん盖し我が日本國は彼の英國などに比して舊慣古例互に其趣を異にする者も多からんと雖ども英國は世界各國人が立憲王政の集大成なりと評する國柄なるが故に我輩は今その二三の事例を擧げて彼の國王室の趣向を示し我が尊王忠國の士をして今後帝室と人民との間に種々の新關係新事例を開くに當りて自から撰ぶ所あらしめんことを望み敢て一片の微誠を陳ずるものなり (完)