「將來の新華族」
このページについて
時事新報に掲載された「將來の新華族」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
將來の新華族
今の政府の貴顯と稱せらるゝ人々は大抵何位何等の位勳を肩にする上に從前は某縣の士族
平民たりしも新に華族に列して伯子男の爵號を有せざるはなし惟ふに位勳爵の光明は全國
無數の後進を惱殺して羨望の情燃るが如く政治の外亦功名の餘地なからしめたるは事實に
掩ふ可らず又二十年前までは身分賤しき一介の書生が新にむかしの大名公卿と族を同ふし
てより從前の舊華族に固有する古色も之が爲めに多少の影響を被りたることはなきや凡そ
是等の事情は經世百年の謀に利害如何とて曾て我輩の論したる所なれども論意迂濶にして
今の社會に容れられず今日の實際に於て榮譽を得たる人々の得意なると同時に之を得ざる
者は失意にして其得失の差いよいよますます甚だしき有樣なれば位勳爵の熱度は今後とも
容易に降る可きに非ず其數漸く増殖して其光漸く薄く復た世間に珍重せられざるに至るま
では滔々として流に從ひ流に浮沈して幾多の波瀾を生ずることならんのみ泰西文明國にて
は人爵を以て政治家の目的物、占有物となさしめざるのみか近來の風潮は從前の公侯伯子
男も次第に其影を薄くせんとするに至りたりといふ左れば我輩も漫に今日に事を急がず唯
時勢の進歩に一任するの外なしと諦め自から口を閉ぢて言ふなからんと欲すれども爰に聊
か懸念に堪へざるものは明廿三年より國會を開設して漸次に公議政治を執らんとするの一
事なり現今の事態より推測すれば國會とても最初の間は左程に花々しからずして直ちに内
閣の更迭を促すべきに非ざれども次第に其勢力を得るに隨ひ早晩政黨政治を形成して國會
議塲の勝敗を以て内閣を授受するに至ることならん扨てその内閣を授受するの趣は一内閣
にして五年十年の長きに亘ること例へば猶ほ英國の如くなるべきや或は然らずして期年期
月を懶しとなし坐席未だ暖かならざるに仆起出沒定まりなきこと佛國の如くなるべきやと
云ふに從來我國政治社會の事情を察するに政熱は至極高き方にて稍やもすれば反對更迭な
ど天下に事あるを喜んで平穩に安んせざるの氣習あるが如くなれば一塲の變動未だ収まら
ざるに又第二の變動を催ほし彼れ取り我れ代りて政變の頻繁なることもあらんと豫想せざ
るを得ず抑も代議政治の主意とする所は一國の公議輿論に從て利福を〓(ルビ・はか)る
にあることなれども之と共に政治家が宿昔青雲の戰塲となすに至るは勢の免れざる所にし
て一朝志を得れば天晴れ内閣の上に立ち政治の權柄を掌握して平生の技倆を逞ふするのみ
ならず位勳爵の光明を放ちて意氣揚々たらんと欲するの念は禁して禁す可らず即ち功名家
の本色なれば前陳の如く頻に内閣の更迭ある度毎に當路の一流は先例に從て何族何爵何等
何位ならざるを得ず蓋し貴顯の標章にして宿昔の目的なればなり斯くて内閣の更迭と共に
其都度新華族を新生して隨て舊華族の身分を褫奪すれば妙なれども爵位は更迭と共に動く
ことなきが故に政治上の變動は唯華族を増加するの一方にして曾て之を減ずることなけれ
ば政變の頻繁なる割合にますます其數を増加して滿目大小の政治家は大概世襲の族爵を有
し二三十年の後には朝野到る處に之を見るの日ある可し
左る程に政治家は内閣更迭の機會に乘じて身分を高め平生の所望を滿足する頃は漸く其光
明を薄くすることとなりて顧れば一塲の夢となるに隨ひ政事と爵位と相區別するの時期に
達することもあらんかなれども困却なるは財政の一條にして新華族には夫れ夫れ應分の財
産を與ふること是れ亦先例の定むる所なれば政變ある毎に財産支給の費額を嵩め多々ます
ます際限なきに至る可し凡ろ人事を决するは先例に據るの常にして殊に政治上に於ては最
も之を重んじ先例とあれば大抵の難問題も决を取ること易きが故に財産給與の一事も其時
に臨んで非難なかる可しと我輩の豫め信ずる所なり或は云ふ今日の新華族は維新の功勞を
以て特別のことなれば先例とは爲る可らずとの説もあらんなれども創業守成その勞異なら
ずと云ひ又は何々の事は維新の功には優る云々など唱ふれば自から亦その時に通用難から
ずして所謂國家の柱石政治の元勲は續々輩出し實以て柱石元勳に相違なき者多くして維新
の功勞獨り空前絶後ならざるを如何せん今の當局者は此邊に付き如何に考案を定めらるゝ
や經世の談を外にしても後世財政上の始末方に付き覺悟あらんこと竊に冀望に堪へざるな
り