「窮民の活路」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「窮民の活路」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

窮民の活路

俚俗の諺に箸の行衛と女郎の果と申すことあり人間世界に消費せらるゝ箸の數は日々幾百

千萬にして之を積めば累々山を成すべしと雖も一旦使用し了りたる後は何時如何なる所に

至りて如何樣に變化するものなるや女郎とても亦新陳交代續々輩出して年々歳々數限りも

なき廢物を生することなるに其身の果は何れの邊に歸着すべきや漠然として算し來れば殆

んど想像にも持餘して唯成行の曖昧なるものと認むるの外なければ扨こそ諺に現はれ出

でゝ末路不分明の標章をなすことならん世に答をなす者は唯ドーカコーカなるべしとして

僅に滿足する所なり西洋にても亦これと同じく鳥獸の屍、古きピン(針)などゝ申せば自

ら成行不審の意味を代表して何れドーカコーカ歸着せしならんと臆定して止むに過ぎざる

のみ世上此類のもの極めて少なからずと雖も縁の遠きものは深く心に介するを須ひず我輩

も其曖昧なるに一任して敢て顧慮する所なかりしに爰に打捨て難きは我國窮民の身の上な

り文明進歩の大勢は之を留めて駐む可らず鈍を利となし遅きを早くして其活溌なること風

雷の如く向ふ所披靡せざるはなき中にも分けて日本には恰も破竹の勢を以て進入せしこと

なれば之が爲めに切下げられて大小の手疵を負ふ者少なからず昔しは一人の客を駕籠に乘

せて二人の雲助が十里の道を旅せしに人力車の發明により一人にして二十里を走り、和船

に搭じて海路瀬戸内より外洋に乘出し遠州洋を越えて江戸に來らんとすれば早くも一箇月

餘を費せしに汽船の速方は二晝夜を俟たず、一日十里詰とは尋常旅行の定めなりしに鐵道

開通以來一日百里詰の激變あり其十里が百里となり一箇月が二晝夜となるものは取も直さ

ず十倍十五倍の勞力を省きたるものにして猶ほ精密に算用するときは一列車にして數百の

客を送るのみならず沿道の旅宿諸商人の業を奪ひたるも亦夥しきものなるべし斯くて文明

の競爭に打負けて復た其用なきに至りたる者共が當時如何にして其身を立てつゝあるや古

き箸の如くピンの如くドーカーコーカして世に處することならんなれども同じく是れ日本

の良民なりとすれば其末路を曖昧に付して以て安心を得たりと云ふ可らず思ふに田圃に耕

作する所の収穫によりて草葉の露命を繋ぐ者を多しとせんか日本内地の豐味は既に既に枯

渇して最早農事そ施すに足らざること明白なれば此地に久戀して齷齪たるは座して空しく

飢餓を待つものと云はざるを得ず我國の良民は不幸にして文明の衝に當り今や正に一死を

覺悟せざる可らざるの時に際せり憐むべし勞力者の成行は次第に其悲歎の聲を聞く可きの

み我輩が世の經世家と共に窃に憂ふる所なれども假に一歩を讓り此種の窮民はドーカーコ

ーカなるとするも爰に曖昧に看過す可らざるものは人口の増加なり國民の生殖は更に其勢

を減することなく年々大數〓十萬を加へ三千幾百萬は改めて四千萬に埀んとするの有樣を

呈せり世間或は此人口の増加を目して赤兒の増加することと速了するもある可けれども是

れは大なる間違にして皆是れ倔強の壯丁と見做さゞる可らず一方には倔強の壯丁が身體相

應の飯を喰はんと欲し一方には文明の利器に驅逐せられて走路を農事に求めんと欲し交々

日本の内地に立ちて生計をなさんとするに恰も揉合ひ押合ひて何れも途方に暮るゝことな

るべし之を喩へば一坪の泉水に金魚を放ちて其増殖するに任せ移して飼養するの策を講ぜ

ざるものゝ如し其いよいよ増殖するに當りては優勝劣敗の勢に制ぜられて脆弱なる者は遂

に沒て盡きざるを得ず蓋し金魚は一の游魚にして翼の飛ぶべきなく足の歩むべきなし泉水

に處して其所を得ざれば沒ちて盡くるの外なけれども苟も人間にして手足の運動に妨げな

き者が何を苦んで金魚を學び其沒て盡くる時を俟たんとするや若しも日本内地の外に出て

沃土を得んと欲するの决心だにあらば必ずしも遠く出づるを要せず我國の版圖内に猶ほ北

海道のあるあり、北海道の面積は之を内地に比するに小は則ち小なりと雖も開闢以來鋤犂

を施さゞるの未開地にして山野到る處豐沃ならざるはなし假に内地の農民をして悉く北海

道に移住せしむるも其収穫は蓋し自ら養ふて餘りあるを得べし而して現今同道の住民は其

數僅に三十餘萬に過ぎずと云ふ正に邦人農を用ふるの地にして假令へ其間に多少の故障あ

るにもせよ一たび内地の窮屈を顧みて生計の工風を案するときは取捨去就の利害得失明々

白々として些の思慮を要せざるべし故に我輩は今後唯同道の景况を報道するを勉め移住の

决心は唯各自の分別に一任して止まんと欲するなり先んずる者は利あり内地の窮民たる者

何ぞ早く活路を北海道に求めざる