「内閣の變動」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「内閣の變動」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

内閣の變動

條約改正論の紛紜より黒田前總理大臣は閣員一同と共に辭表を捧呈せしに同大臣は獨り願

意を聞屆けられて樞密顧問官に轉じ三條内府出でゝ其後任を襲ぎ他の閣員は舊の儘にして

以て今日に至りしが此間こそは恰も密雲雨を釀の時にして西洋の所謂 Provisional

government とも申すべき有樣なりしかば何れ第二の變動あるべしとて世人は足を翅

てゝ其成行を望み新聞紙上に日として内閣の雲行を題せざるはなかりしに幾旬日の間熟す

るが如く决せざるが如く一變再轉朝野を惱殺して遂に一昨二十四日山縣伯は總理大臣に岩

村氏は農商務大臣に青木子は外務大臣に任ぜられたり始め三條内府の總理大臣に兼任する

や去ぬる明治十八年公は彼の謙讓の奏議をなして自ら身を退きたることなれば今日となり

て再び重職に當るは如何にしても不本意なりとて再三これを辭したれども勅命默止し難く

遂に就職したる次第なれば二三箇月の後に至らば更に適任の人を撰んで其地位を讓るの覺

悟なりと聞けり左れば公が總理大臣に任じたるはProvisional government を施設するの

止むを得ざるを知り一身を抛ちて國家の爲めに盡したるものにして情實政府の間に立入り

暫時の猶豫を與へたるものは皆是れ公が國を思ひ君を思ふの至情に非ざるはなし之を彼の

容易に去り容易に出でゝ地位を弄ぶの嫌ある者と日を同ふして論ず可けんや一進一退都て

公の德を傷けざるのみならず益々其光を發揚して帝室親臣の龜鑑たるべきのみ今日となり

て元の内大臣に專任したるは固より公の初志なるべし其後任となりたる山縣伯とても今の

當路の大臣中後藤伯に次いで老功の最も古きものなれば其首相の地位に登りたるも先づ以

て次第正しきことゝ申すべき歟、次に農商務大臣は井上伯の占むる所なりしかども伯は一

昨年外務の局に當りて條約改正の談判に其意を得ざりし以來毎に人に向て敗將不談兵(ル

ビ・はいしやうへいをだんぜず)と物語りたる由にて後宮中顧問官となり又農商務大臣に

轉じたれども决して其本意に非ざりしこと明白なれば今度願意を達して麝香間祇候を仰付

けられたるも更に驚くべき事柄にあらず我輩は之を問説く一昨年に胚胎したるものとして

獨り心に頷くのみ然るに其後任者に付ては種々評議ありし趣にて或は藩閥の誰れ彼れと云

ひ或は然らずと云ひ或は松方伯が兼任せんなど取沙汰もありしが遂に薩にもあらず長にも

非ざる岩村農商務次官が而も無爵にして大臣の椅子を占むることとなれり又外務大臣の地

位に就ては大隈伯の負傷以來候補者の品評頗ぶる喧しく榎本文部大臣か吉田樞密顧問官か

或は遡りて寺嶋伯の經驗に依頼せんとし或は松方伯をして兼任せしめんと云ひ更に一歩を

進めて森子にして存生せば定めて好都合ならんと回顧して愚痴を云ふ者さへあるよしなり

しが是も農商務省と同樣大臣に代ふるに次官青木子を以てすることとなれり右兩大臣とも

次官より大臣に進みたるものにして其事の順不順は兎も角も名は則ち正しきものと云はざ

るを得ず斯くて世人の待設けたる内閣の變動は一旦定まりたるが如くなれども此事相は永

く腰を据えて容易に動くこと無かるべきやと云ふに我輩は之を目して政海の浪、動極まり

て靜に就きたるものと信ずること能はざるなり抑も政治家に要する所は鐵拳にあらず鍵脚

にあらず唯一の腦髄に外ならざれば大隈伯が假令へ兇徒の毒手に罹りて其右脚を失ひたる

にもせよ其腦髄は依然たる舊の大隈伯にして政機を料理するの才力を傷けざるのみならず

其精神元氣に於ても更に沮喪する所あらずと云ふ今回の政變によりて一時身を樞密顧問官

の閑職に置くこととなりたれども其氣焔は赫として蔽ふ可らざる上に陛下の思召も淺から

ず又民間に於ても彼の兇變を氣の毒に思ひて暗に一片の情味を存することなる可ければ今

の伯の身の上は喩へば尺蠖身を屈するの形にして大に伸ぶるの時期あるや必然なるべし又

伊藤、井上兩伯の如き何れも病痾に堪へずと稱すれども其病痾は肉體の不如意に非ずして

恐らくは政治的の疾患ならんと我輩の診斷する所なれば其表面に顯はれざるは終生顯はれ

ざらんと欲して顯はれざるにあらず時節不可なる所あるが爲めにして若しも好時節の到來

せんには宿痾忽ち全快して大に運動することある可し又警視總監の更任は隨分近年の出來

事とも稱す可きものにして既に其長官を改れば警視廳中にも多少の變更なきを得ず其多事

推して知る可し右の如く三方四方其内に潜むの動機は必ずや大に發する所ある可し其何れ

に歸着すべきや今より知る可らずと雖も凡そ此等の情勢に照して試に前途を推測すれば今

回の變動の如きは唯是れ波瀾中の一小波瀾に過ぎずして世人は再び政海の動靜を卜して耳

目を勞することあるべし

以上の次第にして内閣の基礎は今度の一擧を以て確定して更に動かざるものとも斷ずる能

はず又當局者の方寸に於ても種々の變革改良を以て基礎の堅固を謀ることならんなれば我

輩は唯その成行を傍觀せんと欲するのみなれども此度の政變によりて新顔の大臣二人を増

出して其身の重きを爲さしめたり從來政府にては老功の人々を處置するに當惑して種々の

官職を設けたることさへありしが今又二人を増すときは十の當惑に二を加へたる樣の者に

して他日又もや夫れ夫れ工風を要することならん蓋し舊去り新出で交代代謝するは事の本

然なれども今の政府の舞臺は新出づるによりて必ずしも舊去るは敢て去るに非ずして其出

づるは協同者の數を増すべきのみ即ち當惑を多くするの惧ある所以にして我輩は今回の變

動に付て政府の爲めに謀り竊に後日の心配を傍より心配するものなり