「壯士の前途」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「壯士の前途」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

壯士の前途

近來我國に壯士なるものあり多くは士族の子弟にして祖先の氣風を遺傳し又近年の教育に

育せられ頻りに政治に熱心して慷慨悲憤その末流に至りては徃々粗暴の客も少なからず其

運動の模樣を察するに時としては反對政黨の演説塲に入りて之を妨害することあると同時

に自黨の爲めに守護役と爲りて他人の來りて妨害するを防ぎ或は政黨員に聲援して夫れ夫

れ其黨人の爲めに他派の府縣會市會議員其他公共の事務者に對して強て辭職勸告を爲す等、

凡そ此邊の事情頻々たるが如し今試に歐洲諸國を視れば獨逸、露西亞等の國々には三分の

文思、七分の武氣、所謂書生流の風骨を具へたる者が時の政治上に不平を抱きて一部分に

運動を試るものあるが如くなれども政府の取締嚴重なるが爲め其働に現はるゝ所は陰險獰

惡なる破壞的の作用のみにして他に認む可きものを見ず唯英國は自由國にして政府は偏に

寛大を旨とし人の行爲を制止するやうの處置稀れなるが故に彼の倫敦府の如き人口五百萬

人の中、無職業者と稱する者、凡そ十七萬人ありと云ひ此無職業者なる者は固より無智無

識にして所謂恒心恒産なく示威運動會の時などには隊々公園四辻等豫定の塲所に集會して

己れを保護せんとする政治家の爲めに敢て其氣勢を張り或は徃來の邪魔なりとて巡査が其

集會所を移さんとすれば衆を恃んで之れに抗し時に一塲の珍事を惹き起す位の事にして其

所作自から限りあるが故に政府も之を放擲して敢て顧みずと云ふ之を要するに日本の壯士

は其位地、獨露の不平黨に異なり其人品、英國の無職業者と同じからず云はゞ世界中に類

例なく日本特有の者にして前條にも記したる如く多くは士族若くは士族流の精神を有する

者の子弟なれば其父祖の遺傳に於て文思武氣に乏しからざるは勿論、壯士の群に在る者は

年齢二十若くは三十、恰も勉學就職の期にして枉げても其客氣を抑へて自から立つ所あら

んには大器晩成、後年に至りて大に國用を爲す可きに或は寒貧にして長鋏を歌ひ或は孟甞

君の門を敲きて鶏鳴犬吠の徒と混じ學業を以て立身の道を求めず生産を治めて一身獨立の

計を爲さず文明自治の今日に在りて尚ほ東洋古豪傑の風を追ひ磊落疎狂一侠徒を以て任ず

るものゝ如し斯くて他年何の處に向て其身を落着することを得べきや頃日或る壯士中の長

者とも申す可き人の自白談に余は既に其方向を誤りたり自から之れを誤りたることを知れ

ども今更如何ともする能はず學問立身の道に入らんとするも時機既に晩し、奮て生産業に

從事せんとするも其資力のある可き筈なく商工諸會社に雇はれんとするも從來の名聲履歴

等何れも會社員を驚かし或はその禁句に觸れて共に事を謀らんとするものなく左ればとて

腰を官邊に屈して五斗米を求る譯にも行かず北風に嘶くの胡馬ならずして舊同輩と群居す

ることを思ふに至るは亦是非もなき次第なり云々とありしが是れぞ眞實の經歴談にして今

の壯士の前途を思ふて其運命境遇を卜すれば之れに類するもの多かる可し彼の獨露の不平

黨、英國の無職業者の如き所謂行て返らざる者にして其境遇の彼れが如き固より怪しむに

足らざれども日本の壯士は則ち然らず一朝方向を改めて勉學就業の道を講じ尺蠖の屈する

は伸ふるが爲めなりと覺悟して徐に文明流の立身法を求めたらんには他年社會に雄飛して

一鳴人を驚かすのみならず所謂國家の元氣と爲りて大に報効を謀ることを得べき者なれば

我輩は今の壯士諸氏が徒に其功名を急ぎて大器の晩成するを待たず之を中道に夭折せんこ

とを患へ其前途の方向に就き今日方に其猛省を希望するものなり

右は壯士一身上の利害に就きて我輩の老婆心を陳したる迄なれ共更に經國上の利害に關し

て壯士の運動と方向とを視るに聊か憂ふ可き者もなきに非ず盖し人間の働は物理の法に違

はざる者にして今同一の方向を指して其運動を續くるときは物理學に所謂習慣性を成して

軌條を走る汽車の如く俄に止む可らざるは勿論、之を止むるに其道を以てせざれば忽ち軌

條を逸出して破裂毀損の禍を生ずること自然の原則に爭ふ可らず左れば古今經國の士は深

く此働に注目して人力の習慣性を鎭むるに畢生の思慮を費さゞるものなく例へば元龜天正

の際、群雄所在に割拠して干戈戰鬪止む時なく禍亂の久しき遂に一種戰爭の習慣性を成し

たりしかば豊太閤不世出の才を以て之を統一するに及んでも此習慣性を奈何ともする能は

ず乃ち征韓の役を起して鋒鏑の餘勢を海外に銷盡せんとしたるは識者の信じて疑はざる所

なり降て王政維新の際にも攘夷と云ひ討幕と云ひ武氣頗る激昻せしかば明治初年の頃に至

りて毎度彼の習慣性の働を現はし當時要路の經國家は常に之を鎭撫するに苦み故内閣顧問

木戸孝允氏の如き特に鎭撫の任に當り其苦慮名状す可らざる程なりしとて他日之を人に語

りたりと云ふ然ども習慣性の勢は遂に制止す可き限りに非ずして口實名義は樣々なれども

山口、佐賀等の變亂より彼の西南の役に至るまで尚ほ其餘勢を銷磨すること能はざりしも

のゝ如し左れば今日の壯士騒ぎも今後今日の方向を取りて今日の運動を繼續するときは自

然その習慣性を成して俄に其働を制止せんとすれば或は破綻决裂を生ずるの恐なしと云ふ

可らず然るに我國の前途を視れば國會開塲の期も旦夕に迫り兼ねて我輩の論告せし如く我

が第一國會は世界萬國人に對して國の名譽面目を保つが爲め特に平和静肅を要するものな

れば彼の腕力家客氣家をして之れに接近せしむるなど思ひも寄らざることなるべく左れば

とて壯士輩の運動が一旦その習慣性を成したる以上は或は政黨上の軋轢に或は議員の撰擧

上に何れにか其餘勢を洩さゞるを得ず此時に當りて政府が俄に其氣勢を防止せんとすれば

ますます之を激す可きが故に世上の長老、經國の士人、前途の長計を思ふ者は壯士運動の

習慣性を今日未だ成らざるに制することを勉め自ら其責に任ずること甚だ肝要なる可きな