「度量衡條例」
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時事新報に掲載された「度量衡條例」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
度量衡條例
農商務省にては今般度量衡條例の草案を作り追て其道の順序を經て之を發布するの都合な
りと云ふ盖し我國現今の度量衡は徃々紊亂して其正を得ず甚だしきは全重量の一割を増減
するも爲めに感動せざるものさへなきに非ずと云ふ斯の如き始末なれば奸商は權衡の粗造
に乘じて賣秤買秤の二種を用ひ良民をして其賣買の間に於て知らず識らず非常の損害を蒙
らしむることある由なるが聞く所に據れば此種の秤は殊に蠶絲業の行はるゝ地方に多しと
云ふ然るに生絲なるものは其重量に割合はして高價の物品なるが故に賣秤買秤を互用する
の惡利特に多く例へば生絲百目の價を假りに金三圓と見積り此百目の背に於て秤頭若し五
分づゝの掛出し又は掛込みを生ずることもあらば百目即ち三圓に付き十五錢、一貫目即ち
三十圓に付き一圓五十錢の差違を生じ狡猾なる生絲商人は物品授受の其間に不義の利を貪
りながら正直なる養蠶製造絲家は日々の取引上容易ならざる損害を來して自然其生計を縮
むること固より言を俟たざるなり勿論生絲の例證は弊の極端を示したる者にして尋常廉價
の物品に於ては三圓に付き十五錢の差違を生ずるが如きことなかる可しと雖も權衡粗造の
弊ある限りは斤量賣買の商品にして其不正を蒙らざるものなく全國日々幾千萬の商品授受
に行はるゝ所の損害は决して容易の事に非ず而して此不正損害を生ずるに至りたる原因は
固より一にして足らざれども我が度量衡取締條例の不完全なることも亦其一原因なる可し
と信ず抑も舊幕府の時代には江戸と大坂とに各一箇所の秤座なるものを置き全國權衡製作
の權を擧げて一に此秤座に任じ其他は何人たりとも製作を禁じられたれば秤座は恰も專賣
の利を占めて其弊害少なからざりしかども僞製取締の嚴重なるに加へて其製作も精密なり
しものにや現に今日に於ても舊幕時代の權衡は現製の者より貴しとて斤量の正確ならんこ
とを欲するものは故らに之を購求する者さへありと云ふ今其故如何と云ふに我政府は明治
八年を以て度量衡取締條例を發布し其製造所を各府縣に設置したれば彼の專賣壟断の弊は
忽ち之を矯正することを得たれども爾後專賣に代ふるに競賣の弊を以てし各製造所は爭ふ
て其製品を廉賣せんとして木材を撰むに暇あらざるより一旦時候の變換に逢へば秤桿漸く
撓曲するを免れず又各製造所にては需用者の便を謀り器械の形を小にして過分の重量を秤
せしめんとし鈎若しくは皿を下げ緒との距離を短縮するが故に感力自然遲鈍と爲り少しば
かりの重量を増減するも敢て感覺せざるものあり或は奸商の意に投せんとして故意に其感
力を鈍くするものもありと云ふ何れも日々の取引に對して異常の不正損害を與ふ可き者な
るが故に我國現行の度量衡を改正するは實に目下の急須にして今度農商務省にて度量衡條
例を編制せんとするも亦この意に外ならざる可し從來の度量衡製造所は各府縣共に一箇所
つゝあるを以て受持營業の區域甚だ狹く之に使用する資本も亦少なく製造の器械も整頓せ
ず原材の撰拔も行き屆かざるの有樣なれども世事の進歩するに隨て新形度量衡の發明もあ
るべく或は西洋度量衡の製作を要することもあるべく斯かる需用に應ぜんとするには充分
なる器械を備へ清練なる技師を雇ふことも必要なれば今後は各府縣の度量衡製造所を統合
して之を全國一二箇所に限り製造の規模を大にして善良完全なる器具を調達せしむること
肝要なれども爰に一條の疑問と申すは此統合製造所を以て之を人民の手に任ずることは舊
幕府の制の如くならしめんか或は製造一切の事總べて之を政府に任じて其管理に歸せしめ
んか其得失如何に在るなり今度農商務省編制の條例にては何れの方向を取るや未だ知る可
らずと雖ども本來我輩の所見にては度量衡製造權は之を政府の手に歸して一に其裁制に委
任せんこと至當なる可しと信ずる者なり今その製造權を擧げて之を一私人若くは一社會に
任ずるときは其製造は營業と爲り商賣流の筆法を以て安く作り高く賣り以て營業の利益を
謀るに至るは即ち勢の自然にして從令へ政府hが檢(てへん)査法を立て粗製を取締らん
とするも監視目力の及ぶ所は目から其程度あるが故に永く精確完全の器具を得べしとも思
はれず結局政府が自から手を下して之を製造するの安全に若かざるなり斯の如く度量衡製
造權を擧げて一朝之を政府に歸すれば從來各府縣に於て其製造を營みたる者は俄に業を失
ふの姿にして頗る困難なる可し云々の掛念もあらんかなれども政府は自から度量衡を作り
從來各府縣の製造者を以て爾後その賣捌問屋たらしめ之れに與ふるに其小賣卸賣の利益を
以てしたらば彼等は償ふ所ありて既得の利益を失ふの恐れなく國内通用の度量衡は政府製
品の賣り廣まるに隨て次第次第に精確となり物品授受の其間に不正奸策の數を減じて良民
の便利を増進すること固より疑を容れず盖し其道の當局者は此邊の利害に明なる可きが故
に今度條例を編制するに就ては此等の利害を探究して製造權の歸する所を定めたることな
る可く我輩は追て彼の條例の條目を聞知するの機會を得て之を詳論せんことを望むものな
り