「胸中の餘地」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「胸中の餘地」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

胸中の餘地

明治十九年の年末に際し福澤先生が慶應義塾の學生を一室に會し歸省の土産として談話し

たる言に曰く

 (前略)以上は事例として人の技藝に〓る趣を示したる迄のことなれども人心の凝り固

まるや技藝のみに非ず廣く日本の世事に就て之を視察するに道德に凝る者あり才智に凝る

者あり政治に凝る者あり宗旨に凝る者あり教育に凝る者あり商賣に凝る者ありて其凝り固

まるの極度に至りては他の運動を許さずして自身も亦自由ならず内に在ては人生居家の辛

苦不調和と爲り外に現れては交際の猜疑確執と爲り又壓制卑屈と爲り社會の不幸これより

大なるはなし蓋し其凝り固まるの原因は世々の遺傳習俗に由ると雖も現在の其人に就て之

を視れば何れも知見に乏しくして事に熟達せざるもの歟又は其心身の資質微弱なるが爲め

僅に能く一事に堪ふるのみにして毫も餘力を遺さゞる故なりと斷言して可ならん故に今予

が諸氏に向て望む所は生涯の行路都て事物に凝ることなく何事を執り何物に熱心するも常

に餘力を貯へて變通流暢の資に供するの一事なり今月今日本塾に在て學問に從事するも决

して此學問に凝る勿れ業成り塾を去りて家に居り又社會の事に當るも决して其事に凝る勿

れ常に心身を倔強にして事に堪ふるの資を作り其進取敢爲の樣に於ては外見或は奮發の極

度と思はるゝにも拘はらず内に實力を餘して心思を百方に馳せ苟も判斷の明を失ふ勿れ即

ち是れ我同學文明の大主義として忘る可らざるものなり(下略)

當時世上二三の評者ありて日本の人民は概して熱心の情に乏しく輕躁の嫌ある所なるに却

て事物に凝る勿れと云ふは如何あらんと危ぶむ者もありしが熱心の熱度餘りに高くして更

に餘地を遺さゞる者は多くは事の久しきに耐へずして挫折し易き習なれば其形迹は即ち輕

躁の所爲にして熱心即是輕躁の意味を成すに終るべし必竟其運動を活溌至極にしながら其

心思を靜穩至極に据置き綽然の餘地を存するこそ耐久成功の秘訣なれば方便主義の説法を

以て徒に熱心を奬勵せず處世の悟道を啓示したるものと我輩は之を了解せしに此邊の開悟

は人生に最も易からざることと見え情火燃ゆる所頗ぶる花々しく炎片四方に散じて周圍の

事々物々悉く糜爛の災を被むり社會の不幸殆んど際涯なきものゝ如し他事は暫く擱き我輩

は今の政治社會に於て最も其然るを見る所にして國會の準備と聞えたる黨派の爭は日にま

すます勢焔を加へ餘波延いて人生の百事を殺了せんとするは之を黨派に凝るものと云ふて

可ならん歟胸中餘地なきの熱心は我輩之を奬勵すること能はざるなり

抑も社會の要素は政治教育道徳産業等何れも權衡に輕重なきものなれば其一方に僻して他

を空ふす可らざると均しく人の家に居り世に處して執る所の事端固より種々様々なれば商

業に從事する者なりとて宗教家に交を絶つべきに非ず教育專門の身を以て農夫と相徃來す

るもあるべし葢し職業は職業なり交際は交際なれば假令へ職業の點に於て其方針を異にし

將た競爭の間柄なるにもせよ或時は共に合體し或時は互に分離して終始事の性質を標準と

なし以て離合を决するこそ至當なるべし若しも公事に於て雙方相容れざる所あればとて私

交上にも隨て反目する樣のことともならば之を稱して公事に魔せられたるものと云はざる

を得ず近來の黨派の有樣を見るに他黨を傷け自黨を張るの要用とあれば何事にても之を敢

行すべしと奮發するものゝ如くにして彼の内冓を訐くも我黨の爲めなり年頭の禮を見合は

するも他黨なるが故なりとして一に黨派に重きを置き自餘一切の人事を犠牲にして亦顧る

所なき其熱心は既に極度に達したるものと云ふべし葢し事の茲(玄+玄)に到りたる所以

のものは政治上の黨派として守る所の主義の範圍は何れの邊にまで及ぼすべきや其區域に

制限を定めざるが故に自黨とあれば政治以外の事に就ても味方し敵黨とあれば政治以外に

も反對するものなるべし即ち之を無主義と評するも不可なからん英國の代議員の如きは此

點に於て最も善美なる習慣を成し公私の區別を極めて嚴にすることなれば議塲にありては

口吻泡を飛ばして論難駁撃すと雖も既にして議事終るの後は握手談笑また他念なきものゝ

如く日本人等の毎度怪む所なりといふ我輩の最も欽慕する所にして事々物々皆その範圍區

域を定め相亂ださゞらんことを祈る者なれども彼の心中に餘地なき者は得て此妙に達す可

らず試に古今の戰爭によりて之を徴するに昔し野蠻の時代にありては凡そ我が敵となるも

のは其何故に敵となりたるやの次第を問はずして唯一既に之を憎むのみなれば戰爭は常に

猛惡殘酷に流れ之を屠り之を掠めて攻撃に程度なしと雖も文明進歩の今日にはいつしか戰

爭うにも制限を置きたるものゝ如く世界同人の哲理を加味して漸く其趣を變しつゝあるの

最中ならずや左れば心中に餘地を遺すの法は戰爭中にも哲理を顧み政論の競爭にも社會協

同の通義を思ふ等常に大局より觀察を下だし事に當りては眞一文字に盡力勉強して一見極

度の熱心を示しながら傍より之を輕蔑するの工風に油斷なきこそ肝要なるべし、明治廿三

年も既に今年となりて政治世界の多事想ひ見るべし我輩は政熱の炎片を以て社會の人事を

糜爛せざらしめんことを庶幾ふものなれば四年前福澤先生の語を借りて更に朝野大小の政

事家に凝る勿れの一言を呈せんと欲するなり