「東京府下第百十九國立銀行」
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本文
東京府下第百十九國立銀行
は從前の資本金四十三萬圓なりしを今回更に五十七萬圓を増して合計一百萬圓と爲し且預
金に付き利子の割合をも改めて定期預金は年四分より五分五厘、當座預金は年三分六厘、
貯蓄預金は年五分と定め一層世間の關係を廣くして業務を取扱ふと云ふ此一擧に就き我輩
が世人の注意を促す所は預金利子の割合に在りと申す其次第を陳べんに凡そ今日の經濟社
會に一個人の資格を以て財産を私有し家道盛大にして根本の堅固なるは岩崎氏即ち三菱社
の右に出るものなかる可し而して第百十九銀行は恰も三菱社に密着して其樣式とて大抵皆
岩崎氏の所有にあらざれば三菱一類の手に歸し云はゞ三菱附屬の私立銀行とも名く可き程
の關係は普く人の知る所にして今度の資本金増加とて〓廣く世間に株主を募りたるを聞か
ず其出處は必ず三菱社なる可し左れば今日銀行と三菱社との間柄は其營業上に於て明に分
界を定めて相互に入亂るゝが如き混雜を防ぐのみ理財の正則應さに然る可きことなれども
隱然たる銀行の後楯は則ち三菱社にして銀行は三菱に依て重きを成すものなれば日本國中
諸銀行の基礎慥なるものを擧れば我輩は指を百十九銀行に屈して疑はざるものなり且その
當局の役員を見るに頭取には豐川良平氏取締役には莊田平五郎氏等慶應義塾出身の人物も
少なからずして何れも理財活溌の資に富み然かも事に當りて確實巖正なるは多年の經歴上
より世人の許す所にして爭ふ可らず役員に人物を得て後楯には三菱社の在るあり銀行にし
て遺憾なきものと云ふ可し唯從前は專ら三菱社との關係に止まりて自から事業の區域を限
りたるが故に世に之を知る者も少なかりしと雖も一朝その資本を増して取引を廣くし東京
の一方に雄視するに於ては全國に信用の厚くして營業の繁昌す可きは特に辨を俟たず金融
社會の人は勿論、貯蓄預金の要ある向きの人々も西より東より來りて取引を開き安心を求
ることなる可し世上一般に預期して疑はざる所なり斯くまでに信用厚き銀行なれば預金の
利子とても他に比して幾分か低かる可き筈なるに今回の廣告を見れば却て然らずして一年
以上の定期預金には五分五厘の利子を約したり抑も此銀行にて特に方略を運らして預金を
促すの要なきのみならず世人の臆測する所にては近年商況の不景氣、金利の低落に際して
三菱社の如きは資金の用法に苦しみ苟も五分以上に用るの道もあらば自から進んで之を取
るに躊躇せざる可しと思の外、今や其三菱社を後楯にして恰も社と利害を共にする銀行が
廣く世間の金を五分五厘にて預る可しと云ふ奇なるが如くなれども一歩を進めて考ふれば
决して奇ならず當局役員の慧眼能く目下の商况を視て今後の勢を察し金利の割合は凡そ此
邊を至當なりとして奮て先鞭を着けたるものと斷定せざるを得ず(正金銀行の預金は四分
八厘、日本銀行は三分)百十九銀行にして既に斯の如くなるときは凡そ經濟社會に特別の
因縁理由あるの外は五分五厘以下の預金に甘んずる者はなかる可し殊に彼の整理公債證書
を所有する者の如き物の數に訴へて心を動かさゞるを得ず整理の價格今日尚ほ百圓の位に
居て利子は五分に過きず之を賣て預金にすれば明に五厘の相違あるのみならず公債證書の
價は商機の緩急に從て上下するが故に時に或は大に下落して驚くこともある可し假令へ或
は之に驚かずして其滿期まで所有を覺悟せんか恰も何十年間の定期を以て五分利を収領す
るものなれば之を銀行預金の一年間を期するものに比すれば安不安、便不便の相違同日の
論に非ず又或は商家などにては平生公債證書を所有し現金入用のときには隨時これを抵當
に利用して便利なりとの胸算もあるよしなれども銀行に現金を預け置くときは一時の金融
は其銀行にて自由なる可し即ち預金を抵當にして融通金を借用することなれば必ずしも公
債證書を煩はすに及ばず特別の低利を以て金融に差支はなかる可し
右に陳る所にして果して理財の旨に戻らざることならば今度第百十九銀行の廣告は其事小
なるに似て小ならず世間人氣自から金利上騰の風を催ほしたればこそ天下特色の信用ある
にも拘はらず預金の利子を引上げたることなれ我輩は之を目して我金融變勢の端緒を認め
今後該銀行に向ひ預金の多少と、世上一般に利子の上下と、公債證書の運命とを見て理財
の安否成敗を卜せんと欲する者なり
誤字 昨日の本欄第一段の末行中煙管とあるは煙筒の誤りなり