「外資漸く東來せんとす」
このページについて
時事新報に掲載された「外資漸く東來せんとす」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
今度英國倫敦府に於て支那、日本、海峽殖民地委托金貸會社なるものを發起せんとする者あり會社の性質は有限責任、その資本金は百萬磅即ち我が六百六十六萬餘圓にして創立の大主意は近年濠洲ニユー ジーランド米國、南亞弗利加に於て委托金貸會社なる者續續發起するの勢あれども支那日本並に海峽殖民地(海峽殖民地とは新嘉坡、べナン、マラツカ等徃時東印度會社の配下なりし英國殖民地の總稱なり)に於ては未だ此流の會社あるを見ず勿論この地方に於ても銀行保險會社等の事業は從來既に成立ち居れども此等の會社は夫れ夫れ其向きの定款ありて他に有益確實の事業あるも之れに着手すること能はざるが故に今や此委托金貸會社は低利の金を英國に得て之を東洋高利の地に用ひ支那日本、海峽殖民地に於ける鐵道、瓦斯、水道、船渠、電信諸會社の株券を賣買所有し又その政府の公債證書若くは府縣債等を始め土地、礦山、船舶、家屋、礦物、板權等を賣買所有し或は之を抵當として相當の金を貸し出す等その營業の細目は凡そ二十餘箇條に及べり斯くて其理事者中には兼ねて東洋商業に有名なるジヤーヂン マゼソン會社(怡和洋行)ラツセル會社(旗昌洋行)香港上海銀行等の人人も加はり世上の信用も厚きが爲めにや資本總額百萬磅の中發起株を一株一磅として千二百五十株に分ち通常株を一株十磅として九萬九千八百七十五株に分ち其券面十磅の通常株を十磅十志に賣り出すの計算にして其株券市塲の相塲は券面實價百分の五を加ふるの見込なりと云ふ扨て我輩は此報に接して敢て驚くものに非ず既に前號の外資吸收論にも記載したるが如く近年歐洲諸國にて資本の増加したるが爲め南北亞米利加に濠洲に或は亞弗利加各地方に好き職業を得んとして資本の出稼すること夥だしく其出稼地の穿鑿を廣めて東亞細亞諸國を測量したらば日本の如き支那の如き人文相應に開けたる處に一割内外の利子を得ること誠に容易なるを發見して歐洲の資本は漸く東來することならんと兼ねて待ち設けたる事にして石橋を敲て渡る英國人なればこそ今頃始めて此邊の着手に及びたるなれ我輩をして彼の資本家の位地に在らしめば其着手の今より幾年前に在りしやも知る可らざる程の次第なれば善くこそ發起めされたれとて其擧を賛成するのみならず起業の多きに割合はして資本の少なき我國の如きは此種の會社の媒介を以て手輕く彼れの資本を利用し彼れは其利用さるるを利用して雙方共に利し共に益すること我輩の深く企望する所なれ共此一段に至りて雙方共に當惑するものは我が現行條約是れなり抑も現行の條約にては凡そ外國人たる者は日本の土地礦山家屋其他一切の不動産は勿論内國公債證書にても特別の許可ある者の外は之を所有すること能はざるが故に之を抵當として金を貸し若くは借ること能はずして内外金融の其間に一種の鐵門限を存し例へば今度發起したる彼の委托金貸會社にて日本の礦山甚だ富めり日本の土地家屋等之を所有して利益ありとて其資本を注ぎ込まんとするも條約面の許さざる所は之を如何ともす可らず左れば商事の實際に當りて現行の條約は外資の運動を妨るものなれば利に鋭き彼の資本家は其不都合を鳴らして條約改正の必要を説き商業貸借の道よりして間接に改正の好都合を媒成するなどの機會なしとも云ふ可らず兎に角に我國の商工家は早晩外來資本を借りて之を利用するの時機到來に逢ふのみならず外資と共に外人も亦次第に内地に入り來りて東京銀座日本橋通りも次第に其所有店と爲り上州信州等の生絲塲、九州北海道邊の石炭山も次第に其所有物と爲り函根に伊香保に西京に納凉遊山の好塲所も次第に其所領地と爲り金の少なき相塲師等は其蹂躙する所と爲りて鼻息奄奄たりなど申す塲合も亦到來す可きものと覺悟せざる可らず小器小量鎖國の魂を以て視ればこそ恐る可きに似たれども今日の日本は鎖國にあらずして人も亦桃源の逸民にあらず誰れか之に落膽して空しく愚痴を言ふ者あらんや彼れより來るを幸にして我れも亦進む可きのみ例へば英國の如き國柄にても倫敦リヴアプール、マンチエスター其他各都府に於て洪大なる商店を構へる者は决して英國人のみに非ず倫敦金融市塲に於て第一流の位地を占むる彼のロスチヤイルド一家の如き其先は獨逸より移住したるジエウ人種にして是れより以下の大商人中、外國出身の者は枚擧するに暇あらざる程なれども英國人は之を容れて之を英化したるが故に其外國人の繁昌出世は結局英國の繁昌とは爲りたり盖し今回倫敦府に於て彼の委托金貸會社の起りたるが如き近年歐洲諸國に於て大に資本の増加したるが爲め彼の國人が之を抱て漸く東來せんとするの端緒にして今後の形勢推して知る可きが故に我が日本の商工家は外來の資本も人物も悉く之を併呑して漸次之を日本化し共共に日本國の爲めに繁昌の道に進ましむるやう豫め其度胸と力量とを養ひ置くこと甚だ肝要なる可きなり