「富籤法の利用」
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時事新報に掲載された「富籤法の利用」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
富籤の事は其起原至て古くして、歐洲諸學者の説に據れば、其昔し宗敎迷信の人々が未來を知り運命を卜する
等、人力の及ばざる者に就き吉凶禍福を決するに、御籤を用ひたることありしが、是れぞ富籤の濫觴にして、後
世之を金錢上に適用することゝは爲り、凡俗の常情に訴へて頗る通用よき者なるが故に、如何なる野蠻國にても
嘗て此法を知らざるものなしと云へり。抑も富籤に種々の法あり、其利害論も一ならざれども、今其主義を一口
に述ぶれば、銘々少額の金を投じて多額の物を獲んと欲し、其運試めしを爲す者にして、其出金割合の少なきが
爲め、或は其運拙なくして其全額を失ふことあれども、飯粒を以て鯛を釣る者が、時に或は鯛を得ずして其飯粒
*一行読めず*
と稱し、或は富講などゝ稱して、盛に流行したることあれども。之を發起したる者は敦れも凡俗の輩にして、其
金錢の出納上、奸詐百出、弊害萬端、愚夫愚婦を欺いて自から其利に食むが如き情狀を呈し、富籤法の得失は姑
く置き、之を取扱ふ者の卑劣なるが爲めに、世間概ね其事を卑下して、士人、心ある者は之れに近づくことを好
まず、隨て其弊害を拂ひ去り、世人の常情に訴へて理財上大に其主義を利用すること能はざりしは、亦是非もな
き次第なりき。蓋し利弊相伴ふは事物に有り勝ちの事にして、彼の富籤法の如き、弊の一方より觀察すれば、其
中嫌忌す可き箇條も少なからず。第一、富の當籤者は幾千幾萬人中に僅々屈指の數なれども、幾千幾萬の人々は
我勝ちに其當籤者たらんとし、偶然の僥倖、勞せずして富有を得べしとて、其勉業心を減ずる事。第二、富講發
起者は其手數料として集金額の一部分を取り、又實際の企業費も固より多から可きが故に、其當籤者の収得は集
金總額の幾割に減じて、富籤購求者の全體より見れば、籤の當否に拘はらず、初めより幾分の損失ある事。第三、
富講に抛ちたる金額は何れも不生産にして、當籤者と發起人とに分配するも一毫も其額を增さゞるのみか、之れ
に關して費したる幾多の時間勞力の如きも亦、皆不生産たる可き事。凡そ此三箇條は從來弊の一端より見て富籤
法を批難するの論點にして、富の方法如何に因りては右の箇條に觸るゝ者なきにしも非ず。例へば米國に有名な
る彼のルイジヤナ富講の如き、長さ二寸幅一寸ばかりにして印刷精緻、容易に贋造す可らざる切符面に、夫れ夫れ
其番號を附して、之を米國内外に配り、或は富講出張所、或は酒屋、煙草屋等、出入繁多の處にて切符一枚を一
弗に賣り、其第一當籤者には十餘萬弗の賞金を與へ、第二、第三、遞減して夫れ夫れの賞金を與ふることなれば、
其集金總額は蓋し三十萬弗内外に達するならんと云ふ。斯くて其豫定通り三十萬内外の富札を賣りて、集金首尾
よく整へば、富講は其第一號より第三十萬號に至る迄の番札を、風車樣の機械に掛けて縱橫上下に混合し、盲人
をして手當り次第、其番札を拾はしめ、銀行役員立合の上、一々之を檢査して、一番先きに拾ふたる札が假りに
第九萬九千九百九十九號なりとすれば、兼ねて此番號に當る切符を買ひ取りたる者が其第一當籤者にして、十餘
萬弗の賞金要求者たることを得べし。但し富講に關しては米國各州その取扱を一にせざれども、先づは默許の姿
にして、法律上十分の保護なきが爲め、其賞金を受取るに當りて種々樣々の故障を生じ、或は其受取方を周旋す
る者が非常の手數料を貪るなど、富籤者の手取金を減ずること少なからざるが故に、尋常當籤者は凡そ三、四割の
割引を以て切符を其道の人に賣り、以て賞金受取の面倒を免るゝ者多しと云ふ。蓋し此ルイジヤナ富講は、其規
模の洪大なるにも拘はらず、公然政府の許可を得たる者に非ざれば、之れに關係する人々の中には素性の正しか
らざる者多く、其目的も軍に富講其物に在りて、之れに附帶する事業なきが故に、今其利の一方より云へば、
人々酒食遊興等に費す餘剩の金を餌にして、萬々一にも大獲あれば、其は世間に流通する少額の金を一處に纏め
て、所謂俄か分限と爲り、其分限者の働き次第、殖産起業何くれとなく一廉の事功を立つることを得べく、云は
ゞ富講の媒介を以て片々世上に散布して大用を爲さゞる資本を集めて、運強き當籤者の一手に歸し、其資本の働
きを大にする者にして、經濟上漫に批難す可らずと雖ども、又其弊の一方より見れば、多くは世人の德義上に於
て感情を害するものなきにしも非ず。畢竟富籤法の能事を盡さゞる者なれども、近時歐洲諸國中、殊に彼の佛國
に於て、往々此富籤の法を利用し、政府若くは歷々の士人が公然其局面に當りて、富籤購求者に全損なきよう、
隨て世間の信用を害せぬよう、少額の金を一處に集めて之を生産の業に利用し、大に其功を奏したるものあるが
如し。卽ち彼の富籤法は世間の常情に訴へて頗る通用よき者にして、之を害用すれば其害も多く、之を利用すれ
ば其利も多く、一概に擯斥す可からざるものなるが故に、經濟起業に志あるの士は、須らく其主義を變通して之
を利用するの道を講ずべき者なり。 〔二月六日〕