「内國に大資本を要す」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「内國に大資本を要す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

過日の紙上(去月三十一日)に第百十九國立銀行の事を記し今回その資本金を増して預金の利子を引上げたるに就ては全國の財務に大なる影響を及ぼし家産餘りて預金の要用ある者は必ず該銀行の信用を恃んで之に輻輳することならん或は公債證書を所有する人も之を賣却して預金の利を利することならん云云の旨を述べたりしが公債證書賣却の外にも尚ほ資本金の埋伏する所を求むれば郵便貯金に非常の高を見る可し此貯金こそ所謂塵を積んで山を成すものにして今日其筋に集りたる共計は盖し二千何百萬圓なりと云ふ而して其利子の割合は一年四分二朱に止まるのみならず之を預けたる月と引出す月とは無利足の法なれば二月十日これを投じて五月十五日之を引出すときは前後三十五日を空ふして唯二箇月六十日の利子を得べきのみ然るに第百十九銀行は貯蓄預金の利子を五分に約して既に八朱の相違ある其上に利子は必ず日割を以て勘定して一日も金を遊ばすることなきが故に預人の身と爲りては銀行の方に走らざるを得ず是亦集りて屈強の大資本たる可し何れの■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)より見ても今後第百十九銀行の盛大は疑なき所にして扨斯る大資本を集め得て今日これを利用するの手段を如何せん銀行の信用厚くして營業活溌なりと云ふも鬼神に非ず若し萬一も非常の大金を預りて其用法に苦み却て損亡にてもあらんには詰り金を預けたる人の迷惑なれば聊か掛念なるに似たれども我輩の所見を以てすれば目下金融社會の實際に於て資本金を投ず可き塲所は甚だ廣きが如し例へば近來諸株式の下落も樣樣の原因あらんなれども半成の事業に追追株金の拂込を促がされ之を賣棄てんとする者多ければこそ價格を落すことなれ即ち資金不足の徴候あれば此の時に當り銀行が大資本を利用して諸株式を買ふか或は銀行の性質に於て不都合ならば其金を三菱社に廻はし社名を以て賣買に差支はある可らず其一二を云はんに日本郵船會社は一年一割二分の配當にして株の價は七十圓臺にあれば正味の利益は年七八分なる可し殊に岩崎氏には從來所有の株も多きことなれば次第に買入れて遂に一手に占有するときは恰も舊時の三菱汽船會社の再興を見ること易し又或は緒鐵道會社の性質を調査して割合に株式の廉なるものを買入れ株數の過半を占るに至れば頭取にも支配人にも自家の人を用ひて業務の取締を巧にするときは是亦至當の利益ある可きは疑を容れず目下の取引にて鐵道株の價は拂込の金額以下に在るものさへ少なからず今日これを買取るは恰も他人をして創立の勞を取らしめ資本家は坐して其正味の利益のみを利するに異ならず唯金さへあれば日本國の鐵道王たるも决して難事にあらず尚ほ此外にも世間に資本の缺乏するに從ひ礦山なり製造所なり有利に拘らず賣物は必ず現れ出づ可きなれば資本の多きものは多多ますます之に吸集し少きものは次第に失ひ盡して正しく優勝劣敗の實相を呈し三菱社の運命無窮なる可きは數に於て疑を容れざる所なり抑も社會論を根據にして國民の最大多數最大幸福は如何と尋るときは國民中の少數が大資本を專にするは决して祝す可きことにあらず三菱の如きも其資産を三に分ち五に分ち十にも百にも分割したらば妙なる可し又世間一般の人情に訴へても一私人の非常に富實なるは之を傍觀して俗に云ふ惡い、惡らしいの意味なきにあらず何れも無理ならぬ次第にして假令へ俗情をば脱するも社會論の主義は容易に抹殺す可らざるに似たれども如何せん今日の日本は既に國を開て文明の外國に交はり商賣財務都て競爭の地位に立つものなれば内に有力なる資本家を得ざれば外の競爭に屈せざるを得ず西洋の資本漸く東來するの今日既に油斷す可らざる尚ほ其上に早晩内地雜居の時に至り苟も之に抵抗して内國の利益を保護するものは唯三菱の如き大資本家あるのみ之を喩へば兄弟幾人中の其一人が心身の屈強を恃んで居家常に同胞を凌ぎ獨り家内の快樂を專にして惡む可きなれども近隣と競爭して家の利益を護り名譽を張らんとするには不平ながらも之に依頼せざる可らざるの事情に等し我輩は同胞團欒の樂みを犧牲にするも寧ろ一家の屈辱を免かれんと欲する者なれば私情を去て三菱の繁榮を祈るのみ