「備荒儲蓄法の改正」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「備荒儲蓄法の改正」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

現行の備荒儲蓄法は去る明治十三年を以て布告せられ同年度より實行して以て今日に至りたるものなり抑もこの法の精神たる非常の凶荒不慮の災害に罹りたる窮民に食料其他を給し又罹災の爲め地租を納むる能はざる者の租額を補助し或は貸與するが爲めにして云はば全く仁恤の趣旨に外ならず元來仁恤の事たる其性質に於て政府より法律を以て命令す可き次第のものにもあらず又社會公共に於ても義務として之を負擔す可きものにもあらざれば事物の秩序井然たる社會に於ては一個人の慈善又は其他の方便に依頼するの外、法律規則として之を定む可らざること勿論なれども我國目下の民情は封建の時代を去ること甚だ遠からずして其餘習の去り難きものなきにあらず盖し封建の治下に於て凶年饑饉の際には平素の聚斂過重なるに引換へ非常の恩典を下して租税を免除するの例あり即ち仁君の仁恤にして人民は今に之を忘るること能はず且我國の農民は單に耕作に依頼するのみにして他に生計の道なきが故に聊かの天變地異あるも忽ち之に影響せられて飢に迫る者少なからず即ち今の儲蓄法も是等に生じたるものならんなれども今後社會百般の事物も次第に進歩するに隨ひ法律を以て公共の金を集め之を仁恤の事に散ずるは體裁に於て妙ならざるのみならず且事の永久を謀るの策にもあらざれば今の時に及んで此邊に處するの良方便なかる可らずと竊に冀望の折柄、今回の改正は恰も時宜に適したる改正にして先づ我輩の意を得たるものと云はざるを得ず從來の法にて儲蓄金の儲蓄方は各府縣にては土地を有する人民より地租の幾分に當る金額を公儲せしめ(其割合は府縣會にて之を定む)其總額は政府より配布する金額より少なからざる事となし政府よりは毎歳百二十萬圓を支出して之を補助し其内三十萬圓は中央儲蓄金として大藏卿これを管掌し九十萬圓は各府縣の地租額に應じて之を配付する事となし以て十三年度より施行して本年に至るまで其間既に十年間を經過したり我輩は儲蓄金の集散に感する最近の統計を得るの便なきが故に精密の調査を遂ぐること能はざれども去る十九年度の統計に據りて之を算するに同年度官民の儲蓄額合計は二百十萬七千八百九十一圓にして諸收入金及び返納金は八十一萬三千四百七十三圓地租貸與及救助其他の支出は六十六萬三千五百三十九圓而して差引殘額は一千二百八十萬八千八百四圓なり葢し支出の金額は年の豊凶罹災の多少に依りて年年同一樣ならざる可しと雖も假に一年百萬圓の支出を要するものとなし年年二百萬圓餘の官民儲蓄額と之れに加ふるに諸收入金等とを以てすれば爾後三年間を經過したる本年度に至りては儲蓄金の差引總額は凡そ二千萬圓近くに達したるの計算と見て差したる違算もなかる可し今この二千萬圓に對する利子及び返納金等を合算するときは一年百萬圓の金額を得ること難からざれば今後は最早其積立を廢するも年年の支出に差支はある可らず左れば今度の改正に年年積立の法を廢し備荒儲蓄金は分て中央儲蓄金府縣儲蓄金の二となし中央儲蓄金は明治二十二年度迄の中央儲蓄金及び之より生ずる利殖金を以て成立するものとし府縣儲蓄金は明治二十二年度迄の府縣儲蓄金及び之より生ずる利殖金を以て成立するものとなし其管守支給及び利殖の方法を夫夫改正指定したるは誠に時宜に適して其當を得たるの處置なりと申す可し但し此既儲の金額と雖も其出處は官民公共が法律の命令に依りて支出したるものに相違なければ理論上より性質を吟味するときは之を永久仁恤の事に使用するは如何ならんとの窮屈なる説なきにもあらざる可しと雖も既に事後の今日に至れば其支出したる當時の方法如何を問はず唯その金額が永久仁恤の事に用ひらるるを見て之を共社會の官民が慈善の爲め後世子孫に遺したる紀念として唯その美徳を稱賛す可きのみ事の次第は詮索するに及ばざる可し或は曰く今回改正の精神は前述の意味もあらんかなれども實際は政府が會計の都合上より歳出を■(にすい+「咸」)少する手段の一として見る可しと云ふものあり我輩は政府内部の事情を詳にせざるが故に其果して然るや否やを知らざれども兎に角に今度の改正の時宜に適したるを看て之を喜ぶものなり