「裁判所構成法 (昨日の續)」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「裁判所構成法 (昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新法改良第三の要■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)は控訴の方法即ち重罪に控訴を許したる一事なり舊法にては民事の判决は勿論刑事にても輕罪の言渡は共に控訴上告を爲すを得たれども重罪に限りては控訴を許さざるの定めなりしが新法に於ては控訴院の裁判權中に「地方裁判所の第一審団結に對する控訴」とありて總て地方裁判所に於て第一審として判决したる事件は民事の訴訟は勿論即ち刑事に至りても其輕罪たると重罪たるとに論なく一樣同等に控訴する事を得るものなり盖し普通の見解を以てすれば罪の重きに隨ひて裁判の法を鄭重にこそ爲す可き筈なるに然るに從來の法にては輕罪には控訴上告を許しながら重罪は唯上告のみにして控訴を許さざるは頗る怪しむ可きが如くなれども凡そ重罪の法を犯すものは大抵殺人強盜等の類にして其罪假令へ死に該らざるも其刑期の極めて長きものなれば苟も上訴の道あるに於ては幾回にても之に依りて以て萬一の僥倖を試みんとするは普通の人情に免れざる所なる可し今かかる罪人の爲めに上訴の手數を重ぬるは裁判を鄭重ならしむるの一方より云へば則ち可なりと雖も罪状も明白なる罪人の爲めに既に上告の道ある上に更に無用の手數を再びするは事に於て益なきのみならず之が爲めに益益裁判事務の多端を致し隨て多人數の法官を要する事となるは勢の免れざる所にして詰り其負擔の歸する所は無辜の良民に外ならざれば斯る方法は决して事體の宜しきを得たるものにあらずとの説もなきにあらずして西洋諸國にても重罪に控訴を許さざるの一事は各國いづれも同一樣なりと云ふ尤も彼國國の法定には陪審の制度ありて重罪などの裁斷は勿論陪審の人人と相談して决するの風なれば多少この邊の斟■(とりへん+「勹」の中に「一」)もあることならんなれども兎に角に重罪に控訴を許さざるは普通なるよし然るに今回の新法に右の控訴は實に世界未曾有の新例にして之を目して空前絶後の一代改良と云はざるを得ず此事に就ては我輩は茲に多言することを欲せず唯我國當局の法官が事の實際に於て此大改良の實を空ふせざらん事を希望するのみ

之を要するに新法の要■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)たる合議裁判の主義と云ひ裁判權の擴張と云ひ控訴の方法と云ひ之を實行するには何れ非常の手數と莫大の費用とを要することならん西洋の法諺に正理は迅速と廉價とに在りとの言あり盖し手數と費用とを要して得たる正理は正理の用を爲さずとの意味なる可し然りと雖も從來の日本社會は百事草創にして殊に法律裁判の如きは未だ古風の境界を免れざりし事なれば今の日本國民たる者は手數と費用とを出して裁判の正理を買はざる可らず今回の新法の如きも實際の手數と費用とは容易ならざる事ならんなれども之を以て裁判の正理を買ふの代價と見れば亦以て不平もなかる可し而して裁判の正を致さんとするには裁判法の鄭重周密なることも固より必要なれども第一の要は法官の獨立にして苟も其身の獨立なきに於ては其裁判も正なることを得べからず左れば我輩は今後日本の法官たるものが上は憲法の正條に基き下は新法の精神を體し固く其身の獨立を保ちて獨立の裁判を爲さん事を日本國民と共に希望するものなり   (畢)