「・商機眼前に在り」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・商機眼前に在り」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・商機眼前に在り

商人の商賣に從事するは猶ほ武人の戰場に臨むが如し武人の目的は敵に勝つに外ならずして商人の目的は利を得るに在り其目的とする所は各同じからずと雖も己を知り彼を知り機に臨み變を制し以て全勝利を收めんとするの心掛に於於ては兩者ともに相違ある可らず左れば商人たるものは此心掛平生より肝要にして殊に今代の活溌なる社會に於て大い商利を攫せんとするには能く活社會の活事情に通じ日々時々の異事變相に應じ活溌自在に掛引して機を誤らざるの機轉なかる可らず蓋し我國の商賣は久しく封建鎖國の習慣に馴れしを以て老舖暖簾その舊に安んじて日新改良の計を悅ばず偶ま活溌流の商賣を見れば目するに投機商の名を以てし深く其事情をも詳にせずして兔角これを〓斥するの風なきにあらず彼の身に一錢の貯もなく半厘の信用もなく商賣場裡に馳聘して萬一の僥倖を試み假令へ失敗するも元の無一物に歸するのみと覺悟して信用德義をも顧みざる當世の所謂才取流の輩に至りては固より之を忌み嫌ふ可しと雖も左ればとて今の活溌世界の商賣を以て一概に投機と見做して之を〓くるが如きは唯自から老朽、爲す能はざるの實を告白するに異ならず共に文明の商賣を談ず可らざるなり扨その進退掛引の一段は人々の機轉に存する事にして他より云々す可きにあらず商人自身銘々の覺悟こそ肝要なれども西洋諸國の商人が能く商機を誤らずして之に投ずるの機轉は我輩の常に感服する所にして其着眼注意の鋭敏なる以て我國商人の警となすに足る可きの事例は之を近來の新聞上に求むるも一にして足らず昨年の佛國博覽會に彼の有名なる巴里のアイフエル塔は同國人の計畫する所にして同會六箇月の會期中これに登臨したるものゝ數は數百萬の多きに超え收入は六百五十萬フランに上り工費を償却して非常の利益ありしと云ふ又最近の報に據れば來る千八百九十二年(明治廿五年)米國に於ても大博覽會の催ほしに付き同國人は其開期を目當にアイフエル塔よりは一層高大なる塔を作らんとの計畫にて其金額も既に集まり開會の土地の定まり次第直に建築に着手する筈なりとぞ抑も商機なるものは天然人爲種々樣々の閒に到來して容易に端倪す可らずと雖も彼の博覽會の如きは世界萬國幾千萬の耳目を一點に集めて又これを四海六合に散するの機關なれば穎敏なる彼國の商人等が之を利用して奇計妙策を運らし商賣の戰場に勝利を謀るは謂れなきに非ず即ち彼の高塔の如きも其計策中の一にして佛人は既に功名手柄を成し米人は之に倣ふて更に規模を大にし更に大に奇利を博せんとの目論見なる可し就て思ふに本年は我國にても來る四月より東京に内國博覽會の開設あり元より一國内の事にして世界の耳目を集むると云うふにはあらざれども其時期は恰も艷陽の好季節にして左なきだに風物自から人を招くの候なるに近年は諸方の鐵道も通じて都鄙の交通非常の便利となりたれば此好機を幸に全國幾十百萬の人民は都下に輻輳する事ならん獨り是れのみならず評判高き帝國議會も愈々秋季を以て開會との事なれば是れ又四方の人を招くの一動機にして要するに本年一杯は引續きて都下の繁盛雜杳疑ふ可からず其來衆の中には遊覽の爲めにする者もある可し商賣の爲めにする者もある可し又或は政治の爲めにする者もあらん其目的心事は同じからざるも兔に角に全國幾十百萬の耳目を都下の一所に集むるの一事は事實にして此事實こそ即ち商人に取りて容易に望む可らざるの商機なれば決して此機を空ふす可らず東西の人情嗜好同一ならず我輩は敢て我東京府下にアイフエル塔の建築を勸るものにあらずと雖も商人が商機を利して利を博するの心掛に至りては東西の差別ある可らず事は小なるに似たれども去年の二月憲法發布祭の時に提燈を仕入れて奇利を占めたる者あり國旗の注文に應ずる能はずして後悔したる者あり些細の商品にても着眼の明不明に由りて利を捕ふる者あり又逃す者あり利益は猶ほ飛ぶ鳥の如し之を獲るの巧拙は唯商人の機轉に在るのみ或は眼前の奇利を利せずして徐ろに永遠に志し本年の好機會に金を散して他日の商機を期するが如きも亦一策なる可し射利の大小遠近その機既に眼前に在り知らず府下幾多の商人果して此好機を空ふせざるや否や