「・皇居拜觀」
このページについて
時事新報に掲載された「・皇居拜觀」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・皇居拜觀
帝室の靈德は單に尊嚴なるのみに非ず春風の和らぐが如く時雨の潤ほすが如く温潤融和、萬民をして知らず識らず感戴景慕せしむるに在るなり抑も感戴景慕は人情の働にして情は物に接近して始めて動くものなるが故に彼の帝室の妙用を盡して之を全うせんとするに
は帝室と人民と相對して相近づかしむるの外ある可らず左れば立憲政體國の王家は勉めて民に接近せんことを欲するものゝ如く今我輩の實見を以て申すも今の白耳義國王レオポルト二世は輕車公園を運動するの際、多人數群衆の處に至れば車を下りて徒歩に就き人民の禮儀尊敬に對し夫れ夫れ御挨拶ありて過ぐることあり又英國の皇太子は日曜日毎に家族を引き連れ倫敦府内に御在住の節はアウセンタチツク寺などに賽し公衆と共に混席して説敎を聞き贊美歌を歌ひ歸途には門前の群衆に對して夫れ夫れ脱帽の禮を返へし此日に限り極めて質素なる馬車に乘り太子妃竝に諸親王何れも愛嬌を施して去るを例とし其他歐洲諸國の王家は大抵此邊の機轉に因りて民に接近するの趣向あるものゝ如し特に首府内の王宮は云はゞ帝王の御役所にして儀式上の事を執行するの場所柄なれば淸淨莊嚴の地に置きてこそ適當なれと思ひの外、凡俗の家と相接して腹背紅塵の起るを嫌はず例へば伯林の皇后の如き學校芝居座と相隣して普通の往來に軒を竝べ先の皇帝ウヰルヘルム陛下御存生の際には皇居の門前を通行する者が陛下の机に倚りて事務を執り或は窓より龍顏を出して往來の群衆に御挨拶あらせらるゝ所を拜見することを得たりと云ふ又英國は貴族風に富んで兔角物事に勿體を附け上下貴賤の區別等も至て六ケしき國柄なれども倫敦府内のバツキングハム宮并にセント ゼームス宮の如き車馬絡繹往來の最も繁くして人の目に附き易き所に在りて知らざる者は其王宮たるを知らず傍人の指導を煩はして始めて其然るを發見する樣の次第にして歐洲諸國の帝室が雲上の高きに居りながら凡俗公衆と談を接して下界の卑きを卑しとせず帝室と人民と相知り相近づかんとするは此一端を推して知る可きなり又特に帝室の美風として我輩の竊に欽慕するものは皇居を以て公衆に示し禁苑を開て偕に樂しむの一事にして例へば彼の英國の如きテームス上流のウヰンヅル宮、蘇格蘭竝にワイル島の離宮を始め其他何れの宮殿にても女皇陛下御駐輦の時を除くの外は自由に衆の縱覽を許すの習にして扨て宮殿を拜觀して什寶器物は申すに及はず歴代帝王の御肖像その他王家に縁故ある種々の事物を目撃すれば其國臣民の情として特に尊敬景慕の念を厚うするは勿論、成る可く其規模を宏壯にして諸外國の王城にも讓らざらんことを欲するは亦是れ人情の自然なる可し斯くて海外帝室の模樣は參照して顧みて我國の事態を見れば固より國體の異同もあり習慣の然らしむる所もありて内外同一日に談ず可らざるが故に海外の盛事は云々なりとて一々之を我國に移して事實に行はんとするは固より望む可らずと雖ども今年は内國博覽會の催ほしあり又我が第一國會の開場もあり殊に鐵道は各地方に通じて往來交通の便を增したるが故に博覽會品類の盛んなるを見、國會規模の壯大なるを窺はんとして全國各地方の人々が今年東京に群集するは幾十百萬人なる可きや蓋し古今未曾有たるは我輩の豫期する所にして此幾十百萬人に對し東道の主人たる東京府民は成る丈けの待遇を盡すこと勿論にして然る可きことなれば華族竝に諸名家は或は其庭園を開て泉石園藝術の妙を示し或は其寶庫を傾けて祖先傳來諸美術品の祕を發し我が同胞の人をして歡喜滿足を土産にして其地方に歸らしむること肝要なれども帝室の御恩德を特に此邊に垂れさせられ豫め御差支なき時日を定め又其人數を制限して新皇居の外殿より赤坂離宮吹上禁苑等に至るまで一般公衆の縱覽を許可せられたらんには一般公衆中に就て平生輦穀の下に在寓せざる地方人の喜は如何なる可きや生れて昭代に遭遇して近く鳳城の靈光に接し又禁苑の閒に入りて麾鹿の伏す攸、麾鹿濯々たり白鳥鶴々たりの趣を見れば周文の德を今日に仰きて子來の庶民誰れか感涙を揮はざるものあらんや斯くて今年上京の人が皇居を拜觀して地方に歸れば地方到る處として其談を談せざるものなく帝室温潤の璽光妙德、民の肺腑に照徹して或は政治熱の激昂を和らげ億兆の人心を緩和し普天率士帝德を歌謠するの盛象を呈することともならんか我輩の微誠その斯くの如くならんことを祈り敢て一言を獻するものなり