「・パーネル氏に係る離婚の訴訟に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・パーネル氏に係る離婚の訴訟に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・パーネル氏に係る離婚の訴訟に就て

近來新聞紙上の一談柄となりたる英國愛蘭自治黨の首領パーネル氏がキヤプテン オーシヤの夫人に關係の訴訟事件は歐州新聞紙の報する所にして諸説紛々未だ確報に接せざれども事の次第たる甚だ面白からずして士君子間に語る可らざるものゝ如し蓋しパーネル氏は年來自治黨の首領として愛蘭の獨立を主張し熱心僥まず近來に至り始めてグラツトストン氏の贊成を得たれども其唱ふる所の獨立策は英國人多數の最も好まざる所なるが故に非常の反對を受けて其志を得る能はざるのみならず衆怨群疑一身に集まり屡々奇禍に瀕したる事さへなきにあらず昨年は彼の有名なる暗殺嫌疑事件にてタイムス新聞記者と共に法廷に對審し幾多の討論辨駁の後纔に一身の冤屈を伸ばして其榮譽を全ふしたれども未だ數月ならざるに今又此度の災厄に遭ふ辛酸艱苦は志士の常とは云ひながら斯る事件の爲めに苦めらるゝ氏の心中こそ思ひ遣れて氣の毒なれ顧ふに英國の政治社會には之を先にしてチャーレス ヂルク氏の艷罪事件あり其噂未だに世に絶えざる今日に當りて又パーネル氏の事あり其事實の眞僞に拘らず兔に角に斯る醜猥談の世閒に發表するは甚だ面白からぬ始末にて我輩は英國社會の爲め之を吊せざるを得ず然れども凡そ社會の進歩するに隨ひ人事の關係次第に鋭敏微妙となるは自然の勢にして殊に表面の功名を競ふ所の政治社會などに於ては其事相最も著るしく黨論相爭ひ情火相激するに當り人を攻撃するにも論破頗る鋭利にし

て其急所を衝くことを誤らず故に時としては人身攻撃の極端に渉り轍もすれば開くに忍びざるの内事にまでも論及することなきにあらず畢竟事の弊に外ならざれども社會の勢既に此の如くなる上は今更ら致し方もあらざれば苟も政治家として斯る社會に立たんとする者は表面に政敵の反對を受くるのみならず極祕極密の私行内事に至るまでも總て毀譽榮辱の種となりて其地位身分に非常の關係を及ぼす可きものなりとの事を忘れず外に對しては大膽磊落區々たる物論を顧みざると同時に内に於ては小心翼々その身を淸潔に保ち妄りに小人輩の口論に掛らざるの用意こそ專要ならんのみ顧みて我日本社會を見るに從來政治上に黨派異論の互に相轢る有樣は隨分激烈にして敢て西洋諸國に異ならざるのみならず殊に民間不平の徒が當局の權勢家を攻撃する口調に至りては自ら是れ東洋特種の筆法にして奸臣、汚吏、賊徒、賣國奴など苟も意味のあらん限り醜惡の文字を悉くして之を攻撃するの常なれども其論鋒は如何にも漠然として其身に適切ならざるを以て肝心なる當局者は却って痛痒を感ずること少なくして其功能は唯世の不平家の耳目を喜ばしむると不明なる後の歴史家を瞞着するに過ぎざるのみ故に從來東洋流の政治家は外に向て大膽磊落なると共に一身の私行の如きも左まで意に介せざるのみならず或は内の修まらざるを以て却て英雄の本色となし之を尊ぶものさへなきにあらず世間にしても又これを怪しまざるの風なれども熟ら熟ら今後の成行を察するに日本の社會も亦益々多事となり人事の關係もいよいよ微妙となるは自然の勢にして社會の情勢既に斯の如くなる時は政治上の爭ひに黨論紛然情火相激するに當り其爭たる從前の如く漠然たる表面の攻撃に止まらずして論鋒轍もすれば身邊の關係に及び爲めに當局者の面目を傷けて其地位を動かすなどの事あるも計る可らず左れば事の利害は兔も角も既に斯る時勢となる以上は其局面に當る所の人々は時勢の油斷す可らざるを覺悟して從來の流儀を改め政治上に公德を尊ぶと同時に又その私行を謹み一身の令名を保ち又日本社會の汚點を遺さゞるの注意專一なる可し我輩は我國の政治家がパーネル氏の事を聞き自ら戒むる所あらん事を希望して止まざる者なり