「・貧富不平均を咎むる勿れ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・貧富不平均を咎むる勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・貧富不平均を咎むる勿れ

貧富平均の節は東西古今之を唱ふるもの甚だ多く西洋にては社會黨共産黨などの流派あり其説多少の相違あれども之を要するに同等の人は平等の富を分有して平等の幸福を享く可しとて其道を講ずるものゝ如し又東洋諸國中支那の昔に遡れば井田均分の法などありて不動産の兼併を許さゞるは儒流政治上の大主義なりしが故に遠く其流を汲みたる我國の學者も往々この主義を尊奉するの餘、昔時封建藩制の際には封内の分限者を抑制して所謂兼併の弊を防ぎ故らに富豪の發達を妨げたるを以て明君能吏の高評を得たるものさへあり左れば貧富平均説は東洋にても西洋にても決して珍らしからざれども實際富の不平均は我が日本國に少なくして西洋諸國に多きものゝ如し例へば彼の英國の如き何侯何伯と稱する者の中には數百年前封建の世に祖先が鎗先きの手柄を以て廣大なる封土を領したる其偉業を引き繼て今日只今元の儘にて所有する者もあり現に英國最富の貴族ウエストミンスター公の如きチエシャの邸宅八英里四方に亘り其家産一日の收入凡そ我が一萬圓に相當すと云ふ其他諸貴族豪商の富は自から推知す可きなり扨て又北米合衆國に於ても素封家は所在に立ち並んで各々その豪奢を競ひ鐵道王と云ひ電信大盡と云ひ車馬邸宅の壯なる王侯貴人を壓倒するもの少なからず昨年桑港の豪商某氏がシラチパタ金鑛會社の株券を賣買して數日閒に凡そ百萬弗餘の奇利を占め其總利益金を投じて壯麗なる宮殿を建築したる時の如き貧乏勞務者は其門前に押し寄せ來りて壓制獨裁國の帝王にても斯くまで驕奢を極めざるものを世界第一自由國の眞中に於て此有樣は何事ぞやとて大に不平を唱へたる等の事例もあり富豪者の富豪は殆んど際限なしと雖ども貧乏人の貧乏も亦殆んど際限なくして貧富の懸隔異

常なりと云ふ可し然るに我が日本國にては維新以來世變に乘じて相應の身代を起したる者あれども僅々屈指の數にして國中全般を見渡せば衣食住の度上下に平均して極貧の者なく極富の者なく之を西洋諸國に比すれば固より同日の談に非ず今假りに數を設けて此有樣を記述すれば西洋國民中貧富の差は萬と一との如くにして日本に於ては僅に百と一との如し而して其一の數は日本も西洋も正しく同格なりとすれば日本に於ては貧富甚だ平均し居れども其平均たるや一樣貧乏、平等難澁とも云ふ可き者にして我輩の取らざる所なり元來金の働は之を細くすればますます小に之を集むればますます大なるものなれば一國の貧富正に相平均して貧窮の隊長もなく金持の親玉もなく平等難澁の有樣にては金の働細く分れて其力大ならず殖産商賣總ての事業はかばかしく擧らざるのみならず一朝外國の商賣人と立ち向ふに當りては其金力の制する所と爲りて掛引上に失敗せざるを得ず現に過日の本紙上にも記載したるが如く近頃英國倫敦府にて支那、日本、海峽殖民地委托金貨會社なる者を發起したる者あり低利の金を英國に集め之を抱て東來の上は我が日本にも押し寄せ來ること必然にして今日の處にては條約改正の未成なるが爲め其働を我國に逞ふすること能はざる可しと雖ども早晩改正の實を擧げて内地雜居も行はれ外國人は内地に入りて不動産を買ひ公債證書を買ひ又會社の株券を買ひ其資本のあらん限り自由自在に之を日本國内に利用することと爲り然かも日本人民の經濟向きは今日の儘にて一樣貧困、國中を一望するも金のなる木の獨り空に聳ゆるものあるを見ず平原一帶貧草窮木の繁茂する其中に俄に西洋の搖錢樹を移し來らば我草木は其蔭に蔽はれてあはれ忽ち枯れ凋むことならん抑今西洋人の眼を以て我日本社會を見れば金を用ふ可き場所に乏しからず幾千萬圓の内國公債證書は之を所有するばかりにて年利五六朱を生ずべく都邑の地面を買ふも其利益少からず諸會社の株主たるも同樣ならん或は株式取引所米商會所等に入りて株式又は米相場を抑楊するも自由ならん此時に當り我が商人等は果して何物に依賴して其生存を圖らんとするや我輩の所見を以てすれば西洋の金持が其資本を齎らして商賣の糧を專らにせんとならば我國に於ても亦同樣の金持を生じて之を競はしむるの一事あるのみ左れば我國の商人中にて如何樣かの好機會を得て大に其身代を起すものもあらば今後外國人と金の權力を爭ふの急に當りて依賴して我國民の利益面目を保つものは即ち此等の商人なるが故に苟も此等の商人たらんものは其平生商賣上に嚴酷なるにも關せず或は時として利を射るの度を過すことあるも之を咎むるに暇あらず況して其私の細行の如きは一切之を度外視して唯日本國の商賣の爲めに其人の働を褒めて天晴れなる人物なりとて之を敬重せざる可らず斯くて此進路を取るときは國に偉大なる富豪者を生じて略ぼ相平均したる貧富の度を更に大に不平均ならしむるやも知る可らざれども今や外國人と相對して國家經濟上の急務に當れば貧富不平均などの論理を談ずるに暇あらず日本人中致富の能力あらんものは遠慮なく颯々と進んで富豪の群に入る可きものなり