「富者ますます富むは今日に在り」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「富者ますます富むは今日に在り」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

富者ますます富むは今日に在り

富を作るものは富なり假名手本忠臣藏天河屋の段に金から金を儲け溜め云々の句あり誠に然り金を釣る餌は即ち金にして金さへあれば又大に金を儲くることを得べしとは尋常一樣の道理なれども之を實際に試みんとして又と得がたき好機會は實に今日に在る可きなり我輩ツラツラ昨今の商況を見るに金融頗る切迫して諸會社株何れも下落に向はざるものなし其原因は種々樣々ならんと雖ども近年新會社の發生異常にして其總體株券を合計すれば通貨總額に三倍すと稱しながら一方には商賣上の信用なくして諸手形の融通不自由なるが爲め會社事業の進歩するに隨ひ漸く行き詰りを生じたる者即ち今日の現状なる可し米國にては南北戰爭の後獨逸にては普佛戰爭の後孰れも同樣の事ありしが是れは戰爭の其際に各業全く地に墮ちたるものが和風温氣の回復するに隨ひ一時に萌芽を發したる者にして成長の餘り急なるが爲めに中途にして枯折せしものも少なからざりし由、即ち獨米の例に據れば我が日本の新會社の如きも其發生の急なる程に金融上の行き詰り抔は愚か、或は半途夭折の者を生ずること亦甚だ多かる可し本來近年の新事業中には小數金主の組合にて經營す可き者と多數株主の會社にて發起す可き者と二樣の別ある筈にして例へば銀行鐵道等の事業は一季にても半季にても其損益を報告して夫れ夫れ利益を分配することを得るが故に多數薄元手の人々にても其株主たることを得れども土木或は製造業界の種類の中には其成功の五年十年に渉りて損益を目前に見ること能はざるもの多く斯かる事業會社以て之を多數株主の所有と爲せば永き年月の其内に株主中にも異見もありて兔角事務者の肘を制するのみか事務者の深切にも限りありて實驗上不得策の廉少なからず西洋諸國にて此種の事業を經營する者は一家族父子兄弟の一手なるか或は何々會社と稱するも重もに兩三人の金主より成り立つもの多きが故に事業の成功長きに渉るも固く其仕事を維持して解體散敗などの例は甚だ少なき事なれども今の日本の會社なるものは其事業の性質を問はず總べて薄元手の人々が二株三株を分有して之を組成するものなれば其維持力の固からずして動もすれば解體の景色を呈するは勢の自然なりと申す可し特に近來諸會社株券を賣買所有する者の中には本來その株券を所有する程の資力なく例へば二三萬圓の身代の者が先づ二三萬圓の株券を買ひ之を甲銀行に持參して二三萬圓の金を借り其金を以て更に二三萬圓の株券を買へば之を抵當として銀行の金を借り又更に他の株券を買ふ、斯くて甲乙丙丁と最初の二三萬圓を融通して銀行の金を引出し次第に所有株券を增して其實力に十餘倍する程の者を抱く人々さへなきに非ず即ち二三萬圓の身代にて四五十萬圓の株券を所持し徒に所得税の額を增すのみならず所持の株券相場に於て一割方の浮沈あれば時々其身代以上の損益を生ずるの割合にして一朝逆運に際會すれば融通の道に行き詰りて忽ち轉倒するは數の自然、固より怪しむに足らざるなり右等は極端の事例なれども今日金融の切迫して諸會社株金拂込みに窮する者多きの事情を推して次第に之を究むるときは世上往々右等の類例あるを見るべく斯くては後來諸會社の成立甚だ覺束なき次第なれども試に日本の國と爲りを按じて前途の望を諸工業に屬すれば近來各地石炭炭坑の發見もあり國中人口多くして勞役の低廉なるに兼ねて天然の物産に乏しからず其物産に人工を加へて需要の市場を求むれば内には三千九百萬人の得意客あり海外近く支那を控へて米國に濠洲に取引口を得るの望みなきに非ざれば今後五年を期し十年を期し維持の目途を永遠に立てゝ扨て我が諸會社を吟味すれば其中福望を屬す可きもの亦決して少なからず左れば今日我國の富豪にして實際の資力あるものは目下金融の切迫して諸株券のますます下落するを幸ひ拂込み額幾割を下りて片端より之を買入るゝか或は其株券を抵當として實價半額位の金を貸し受出されては一割以上の金利を取り流れては其株を所有して知らず識らず最低價の株券を引取り最も望みある會社に對して隱然その大株主となるか或は之を一手に握りて其事業を進捗するか何れにしても金さへあれば世上否運の極に乗じて安直物を買ひ以て徐に泰運の開くを待ち大に其利益を占むることを得るのみならず更に國家經濟の點より考ふるに近來續々發生したる會社は悉く其基礎を固むること固より六ケしき事ならんと雖とも多少の國財を費して既に事業に取掛りたる者が若しも半途にして失敗せんか夫れまで消費したる勞力用度は總べて不生産に歸して結局國の財力を縮む可き者なるが故に之を繼續して其業を振ひ當初の目的を貫きて盛大の運を開くものあれば其人物の如何を問はず國家經濟上の功臣として之を敬重せざる可からず彼の米國獨逸等に於て前年諸會社の失敗する中に就き確乎として一時の恐慌をしのぎ後來非常の盛大を致したるは多くは彼の經濟上の功臣諸氏が其望を後日に屬して自から其大株主たりし者にして今日我國の有樣を見れば功臣功を成して兼ねてますます其富を成す可きの機會に乏しからざるが故に我輩は世間有福有爲の人が此機會を空うせざらんことを希望するものなり