「 兌換銀行券の臨時増發 」
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時事新報に掲載された「 兌換銀行券の臨時増發 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
兌換銀行券の臨時増發
近來金融の逼迫は非常の度に達し金利に十錢日歩の聲を聞くも諸銀行は貸出を止めて之に應ずるの色なし金融の道殆んど塞りて人々唯だ窮苦の歎聲を發するのみ殊に諸會社の株券は俄然下落して拂込以下に潜りたるもの寡からず新に株金を追募して事業を進めんとする會社に至りては差當り事業を中止して機會を待つの外道なしとて役員は唯だ茫然たるのみ斯る有樣にして二三箇月を經過せば實業世界に非常の惨状を現はし破産者を生ずること必然なりとて世人は只管救急の策を企望したりしが當局者も世人と憂慮を共にし過般來種々評議の末、遂に兌換銀行券を増發して臨時焦眉の急を救ふ事に决し近日其事の發表を見る可しとは前號の時事新報に報道せし所なり余輩の報道に違はず昨日の官報に左の一項を掲げたり
兌換銀行券發行許可 大藏省に於ては一昨廿一年七月勅令第五十九號改正兌換券條例第二條第二項に依り相當の保證凖備を置き年五分の税率を以て兌換銀行券を發行することを許可せり
改正兌換券條例第二條第二項とは前號の本紙上にも記載したる如く制限外に銀券を 増發する塲合の規定にして其文に云く日本銀行は市塲の景况に由り流通貨幣の増加を必要と認むる時は大藏大臣の許可を得て前二項發行高の外更に政府發行公債證書大藏省證券其他確實なる證券若くは商業手形を保證とし兌換銀行券を發行することを得、此塲合に於ては其發行額に對し一箇年百分の五を下らざる割合を以て發行税を納むべし但其割合は其時々大藏大臣之を定むとあり即ち金融市塲に異變を生じて流通貨幣の増加を要する塲合には臨時之に應ずるの方法を定めたるものなり元來日本銀行に於て發行する兌換券は同行條例に據りて發行し銀貨を以て兌換するものにして之を發行するの常法二種あり即ち一は金銀貨幷に地金銀を引換準備となすものにして其準備と同額ならば何程の高に達するも制限なし又一は政府發行の公債證書大藏省證券其他確實なる證券又は商業手形を保證とするものにして其高は七千萬圓を以て限りとす此内二千七百萬圓は明治二十二年一月以後國立銀行紙幣の消却高を限りて漸次に發行し二千二百萬圓は政府紙幣消却の用に充つる爲め政府に貸付する筈なれば斯の二口を差引く時は公債證書の類を保證として發行したる銀券にして差當り世間の金融に供す可きものは僅に二千一百萬圓に過ぎず但し銀行紙幣は昨年一月以降既に百餘萬を消却したるを以て最近の報告に現れたる此種の兌換券は二千二百餘萬圓なり左れば日本銀行が公債證書の類を以て發行し得る銀券の高は既に發行し盡して餘裕なし此上は唯だ金銀を準備として増發するの道あるも金銀は意の如く得可からず左れば今日兌換銀行券の發行高は業に既に其極度に達し常則に依ては此上如何ともすること能はざるなり
然るに米價の暴騰は俄に通貨の増加を要したるに折も折とて地租の納期に際して臨時國庫に入りたる通貨は總計凡そ一千四百萬圓なりと云ふ租金の國庫に集るは毎年今時の例なるに嘗て斯る影響を金融に及ぼしたるの例なきを以て今日金融逼迫の原因を論ずる者も重きを茲に置かざるが如くなりしかども其實は今回の納租期に限り通貨の運轉常の如くならず從來の例を以て推す可からざるの事情あり是れ今日金融の状况を論ずる者の知らざる可からざる所なり從來地租上納の期に際して全國の通貨一時に國庫に輻輳する時に當りては當局者は深く意を世間の金融に注ぎ臨時宜きに處して市場の圓滑を謀り嘗て世間に痛苦を感ぜしめざりし即ち大藏省毀損紙幣交換元に備へある紙幣を發し納租の前より二三銀行の手を經て暫時世間の流通に供し一方に市塲を拂ふて國庫に入るものあれば一方より市塲に注出して金融の不便を補ひ納租の期終れば漸次に之を回收して市塲に其跡を絶ち以て平常に復す曩に大隈伯の大藏大臣たりし時には交換元の紙幣を發して一時二千萬圓に達したる事もあり今の大藏大臣松方伯に至りても七百萬圓内外を利用したることありと云ふ兎に角に便宜此際に處して金融の圓滑を妨げず世人をして納租金の一時國庫に集るは金融に影響を及ぼすこと甚しきものに非ずと觀念せしめ今日の逼迫に際しても之を以て原因の最なりと云ふ者なからしめたるは從來此處置の金融に與へたる効益大なるを知るべきなり斯る便宜の處置ありたればこそ是迄納期に際して不便を金融に與へたる事無けれ昨年來は財政の法規も嚴密を加へ規則一定して又從來の便法を施すを許さず國庫に輻輳したる租金は首を揃へて庫中に眠り俄に世間に出つること能はざるに一方には之を緩和するの道も絶えて一千四百萬圓の通貨は定めの通り俄然市塲を去りて其空虚を充す可きものなし我邦通貨の高は一億四千萬圓に達せず通貨の一割俄然市塲を去る之を思へば今日の逼迫は固より其處なり是れ今年の納租に際して殊に此逼迫を來したる所以にして當局者の夙に憂慮せし處なるべし左れば從來交換元の紙幣を以て金融を助けたる其助力は同じく今日に施さずして金融市塲の立行く可き筈なし斯る助力は今日に在りては日本銀行の銀券増發を利用する事最も適當の方法なる可し昔日に於ては斯る方法の設け無きを以て交換元紙幣利用の變則に出でたるも今日は兌換銀券條例ありて立派に其法を設けたり我輩は唯だ銀券増發の事速かならざりしを惜むのみ然りと雖も今日世間の苦痛は尚ほ救ふ可からざるの甚きに至らず政府の此一擧大に金融市塲の逼迫を和らげて取引の圓滑を回復する其期遠きに非ざるべし