「法界奇聞」
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時事新報に掲載された「法界奇聞」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
路傍の風説に今度兩本願寺の門跡は伯爵に敍せらる可しと云ふ者あれども我輩の所見にては萬萬之を信ずること能はざる其次第を述べんに抑も眞宗は由來久くして國民の信心最も深く且その宗義も能く民情に適したるにや凡そ日本國中に於て宗門の勢は眞宗の右に出る者なく日本は佛法國即ち眞宗國と云ふも不可なきが如し斯る次第なるが故に古來政府に於ても大に之を重んじ既に徳川の時代にも門跡に向て是れと云ふ可き俗世界の格式は授けざれども其取扱は皇族に凖ずるの例にして現に皇族と縁組したるものも多く又本願寺の家來下妻など云ふ家は當時封建の小諸侯と相對して正に同等の地位に在りしを見ても門跡の尊きを知るに足る可し徳川政府が斯く門跡に重きを置きしは門跡その人の徳義を尊ぶにもあらず唯天下の群民が之を生佛として崇め奉り之に後生を托して安心するが故に經世上に之を觀察し其安心を固くするは國家安寧の基なり、衆庶の尊信する所に從て政府よりも敬意を表するは治安上の利益なりとの政略よりして扨は之を重んじたることならん經世の妙味無限と云ふ可し又門跡に於ては時の政府より異常の取扱を受れども本是れ三衣一鉢の身なれば人民に接して俗事上の權力あるにあらず、其身分尊きに似たれども信徒の布施に依て衣食する者なれば一種の乞食に異ならずして現に路傍の乞食に對しても身分の輕重なく、時としては乞食の如く時としては王公の如く俗世界の俗理外に生生して以て國民の信心を固くし以て社會の人情を和し以て間接に國安を維持したるは宗教の功徳大なりと云ふ可し
然るに明治政府に至りて天下の人事一として變革せざるものなく遂に本願寺の門跡をも俗籍に入れ、生佛を變して華族と爲し尚その佛體に附するに從何位の名を以てし恰も衆庶の後生安心を托する靈佛善知識をして佛籍を脱せしめたるこそ奇觀なれ我輩は此事を見て門跡の爲めに悲しむにはあらざれども本願寺の俗了は即ち我國宗教の俗了にして其宗教の勢力を失ふは即ち民の安心を薄くするものなれば經世の一代不利として之を悦ばず好機會もあらば族も位階も廢して本の門跡に還らんことを祈りしものなるに近日の風説は全く微意の反對に出で華族位階に次ぐに尚何爵を以てせんと云ふ奇觀いよいよ奇なりと云ふ可し外國人などは殆んど其事を聞て了解に苦むことならん彼の國の例を以て云へば本願寺の門跡はアーチ、ビシヨップに當る者ならんに今これに附する伯爵即ちカオントを以てす之を稱してCount Archbishopと云ふ可きか、先づ世界中に類例少なくして之を呼ぶ敬語にも困ることならん人或は云ふ日本政府は名利の靈塲にして政府の局に當る人が國中第一位に位し是より次第次第に殺■(にすい+「咸」)して終に農商平民に至りて止むの趣向なれば其間に異常の者を插みては次第不同恰も政府獨尊の光明を遮りて不都合なりなど説を作す者あれども固より小人の言にして取るに足らず文明の天下は洪大にして河海の如し細流を撰ばず異流を厭はず之を容れて容る可らざるものなし區區たる俗世界の族位爵を繩墨にして區畫を正さんとするが如きは大河海の量なきものと云ふ可きのみ由來久しき大教主の身を自由の地位に放ち其尊きも卑きも單に國民信心の厚薄に任して尊きこと王公の如く卑きこと乞食の如くならしめ政府は自家の政權を妨げざる限りに敬意を表して却て之を度外に置くこそ策の得たるものなれ當局に自ら經世の士あり豈この睹易き理由を知らざらんや左れば近日の風説は全く無根の言たるや疑ある可らず若し或は實ならしめなば唯日本の宗教をして其運命を危くし傍より之を犯すに易からしむ可きのみ