「 米價をして自然の平準に在らしむ可し 」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「 米價をして自然の平準に在らしむ可し 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 米價をして自然の平準に在らしむ可し 

去年來日本の米價は非常なる變動にして一箇年の前後には正しく一倍の相塲を現したり抑も去年の春夏に至るまで一石の代價四圓臺なりしが間違にして今日の八九圓が正當なるか、今日の相塲が變常にして去年が常態なるか容易に斷言し難しと雖も物價の標準は常に需要供給の如何に從て定まるとの經濟論を許すときは我國の米價は此経済論の定則に從はざるものなりと云はざるを得ず世間の説に去年まで米價の振はざりしは紙幣の收縮に連れて諸色の下落を致し米商等も米を買ふて幾回か損毛を被り恰も米の賣買を見捨てたる其上に國中の米商會所は重税に加ふるに例のブールスの大厄難を以てして踏るゝ上に擲かれ殆んど脱力の衰弱に沈みて米の賣買は單に小米屋の手に任せ曾て活溌なる取引なきゆえに價の平準以下に下りて自から農家の不景氣をも釀したる折柄一昨年の末米商會所の減税に引續き昨年五六月の頃より相塲所に買人を出現して半空に懸るブールスの奇禍を頭上に見ながらも取引を試みたるに漸く米價の本色を現はし之に加ふるに去秋の米は存外に不作なりしが故に遂に今日に至りしことなりと云ふ者あり此言或は然からん米商會所の重税ブールスの奇論は實に米商を惱殺して其運動を妨げ賣買上に非常の影響を及ぼして自然に米價を下落せしめたるに相違なかる可し又去年の米も存外に不作なりしならん其理由皆是なりとするも一昨年非常の豐年に非ず昨年非常の凶年に非ず假に其豐凶の差を二割三割とするも今日の米價を見れば去年の今の頃に比して正しく一倍の高價とは之を稱して異數と云はざるを得ず即ち經濟論の主義に戻るものにして兎に角に去年の米價は不思議に低くして今年は不思議に高く其高低共に社會一般の不幸なれば人力の及ぶ限りは之を救ふの工風こそ肝要なれ經濟家の一考を要する所なる可し竊に我輩の所見を以てすれば第一に米の賣買を自由にして勉めて政府の干渉なきを要す即ち税法は今日の如くにして異論なしとするも其他の取締など稱する箇條をば單に脱税を防ぐの一偏にして他は都て寛大に附し去り彼のブールス論の如き固より我國の實際に行はれざるのみか我舊來の相塲法を以て外國の法に比すれば長所は却て我れに多き程の次第なれば斷然これを廢して米商の業を安からしむ可し即ち米の賣買を活溌にして其價をして常に平準の下に下らしめざるの趣向なり第二は米價をして平準の上に上らしめざるの手段にして其手段は外國米輸入の路を開き米商會所の受渡に用る事なり日本米の商賣洪大なりと云ふと雖も近年運輸交通の便利を増して其賣買の掛引活溌なる時節に當り稍や資本に豐なる米商が連合して謀を運らすときは人爲を以て一時の價を騰貴せしむること亦必ずしも難事にあらざれば商賣の區域を日本米のみに限らずして外國米の受渡をも相塲所に自由ならしむるときは米商連合せんと欲するも得べからざる可し從前相塲所に外國米の談はなきにあらざれども今に至るまで之を實施せざるは或は米商等が品物の區域を廣くして專賣買の商機を失はんことを恐れ夫れとなく様々の口實を設けて故障を言ふには非ずやと竊に臆測する所なれども到底通用す可き口實に非ず鎖國の時代なれば兎も角も今日の米商會所は米と名くる商品を賣買する所にして其米の産地を問ふを要せず其適例を示さんに我開國に至るまでは金融の相塲を定むるに唯日本の金銀を以て日本通用の位を立て之に對する物價の低きのみならず金と銀との釣合さへ異常のものたりしが開港の一擧以て此舊風を拂ひ金銀は世界中の相塲に由りて平準に歸し唯金銀にさへあれば之を通用せしめて其産地を問ふ者あるを聞かず左れば今米も金銀も等しく世界の産物にてありながら何故に米に限りて日本國内の賣買に適當せざるや米商等も答るに辭なかる可し故に商人にして苟も規模の大なる者あらんには右の理由を會所に開陳し自今以後所謂南京米(外國米の總稱)をも受渡に用ゆ可しとの議を發して舊慣行を一變するは開國たる日本の商法に於て當然なるのみか商人等の私に於ても其知見を廣くして偶然に利する所のもの少なからず而して其成跡は日本社會の米價を常に世界の平準に維持する事なれば會所の議决を得べきは我輩の信じて疑はざる所なり

右の如く一方には政府の干渉を少なくし又外國流の新法を廢して賣買を自由ならしめ以て米價の下落を防ぎ又一方には外國米の受渡を實施して其騰貴を止むるときは日本の米の相塲は常に世界中の平準に從て上下し始めて經濟論の主義をして實地に行はれしめ正しく需要供給如何の本色を現はすに足る可し米價下落したりとて俄に政府より輸出米の策を施し或は騰貴に過ぎたりとて急に外國米の輸入を奬勵し甚だしきは米商を奸なりと稱して之を惡むが如き都て是れ日本士流無經濟の官臭にして既に人の厭ふ所と爲り、又米商等が日本の小天地に運動して有限の日本米を弄び暗に外國米を拒絶して奇利を營まんとするが如きは田舎漢の商法にして今の時勢に後れたるものなり物價の上下は即ち活物の活動なれば官邊の人爲法を以て左右す可きに非ず無理に法を作りて之を強ふればますます害の生ずるを見る可きのみ