「陸海軍聯合大演習」
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時事新報に掲載された「陸海軍聯合大演習」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
陸海軍聯合大演習
今度第三師管下に於て施行する陸海軍聯合大演習は既に官報にも見えたる如く近衛〓に第三第四師團及び海軍を聯合する者にして陸軍部にては所要の兵員を充足する爲め其管下の歸休兵豫備兵をも召集し其兵數は凡そ三萬以上なる由陸海軍の演習は歳時これなきにあらずと雖も一擧、三萬の兵を動したる事は從來に其例なきのみならず聞く所に據れば今回の演習には天皇陛下實に大元帥の任に當らせられ審判の事をも親らし給ふ由に承れば其事體の輕重大小、尋常の演習と同日の談にあらざるを知る可し抑も演習の事たる大小作戰の方案を實演して以て其果して實地に適するや否やを驗し且つは將校士卒の技倆熟練を試むるものにして其必要欠く可らざるは申す迄もなき事ながら殊に今回の如きは我軍事上に少なからざる新知識を與ふる事ならんと思はるゝ其次第は先づ第一に兵員の總數三萬以上なりと云ふ我國古來の戰史上に於て實際三萬以上の兵を以て戰ひたる例は未だ曾て聞かざる所なり近古の大戰と聞えたる關ヶ原の戰爭に西軍は十萬にして東軍は七萬五千なれども西軍中に派中途にして叛きたるもの二萬、始終觀望したるもの二萬八千あり其實額は雙方恰も反對をなし即ち西軍は五萬許にして東軍は九萬五千の由なりしかども當時の戰爭の例として此數は夫卒從僕等をも合算したるものなれば實際の戰員は其三分の一即ち西軍は一萬五千東軍は二萬四千許に過ぎざる可しと云ふ又先年西南の戰爭には官賊ともに各々五萬の兵を擧げたる由なれども之は戰爭の前後八個月間に要したる兵數にして實際戰地に在りし兵員は此の如く多數ならざりしと云ふ左れば我國にては今回の如く三萬以上の兵を一令の下に集め而も僅々の日數間に於て之を一地方に動したる事は實戰假戰ともに其例ある可らず此一擧は我大作戦の準備に非常の經驗を與へ軍事上の所得決して少なからざる事ならん聞く所に據れば去る明治十四年〓山の大演習には費用十六萬圓を要し又十八年九州の演習には同じく十五萬圓を要したりしに今回の大演習は前兩回に比し兵數は三倍強、日數は二倍を加ふる其上に兵員を發送する道程の前に比して遠隔なるにも拘らず其費用は十二萬圓餘にて足るの見込なりと云ふ費用の一點に於てすら僅々數年の間に斯る差違あるを見れば近來我軍上の整理は尋常ならざるものあるを知る可し而して此大演習に於て新に得る所のものは獨り費用の增減のみに止まらず例へば我國の狭軌鐡道が臨時許多の兵員を發送するに適するや否やの議論は近年來軍事社會の一大問題のよしなれども未だ定説あるを聞かず然るに今東京より派遣する近衛兵〓に大坂より出發する第四師團の兵員ともに何れも東西の鐡道を利用する由なれば年來未決の問題を決する爲めには非常の好機會と云ふ可し其他この演習に依りて我軍事の當局者に益する所固より少小ならざる可しと雖も我輩局外者の觀察を以てすれば間接の効も亦大なりと云はざるを得ず即ち一國の軍氣を鼓舞することにして三萬の兵士尾勢の野に充滿し艦隊は海面を蔽ひ幾十里の海陸山野砲烟の裡に沒する其壯觀は申す迄もなく辱くも天皇陛下大元帥として其塲に臨ませられ親しく將卒を統べさせらるゝ事なれば三軍の士氣これが爲めに〓ふて勇鋭常に倍す可きは固より其處にして近傍の士民にして眼前當日の盛況を目撃するものは勿論國中到る處その風聞を耳にし又は新聞紙上に記事を讀み萬口相傳へて壯觀を喧稱し知らず識らずの間に全國の軍氣を振起するのみならず海外の國々にても遙に此事を傳聞したらんには日本の軍容に重きを置くことある可し故に我輩は今回の事が唯我軍務上に經驗の利益を與ふるに止まらずして其間接の結果の必ず空しからざることを信ずるものなり