「夜會に芝居」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「夜會に芝居」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

夜會に芝居

宮中觀菊の宴に始まりて觀櫻の宴に終るものは東京交際社會の季節なり今日も其季節中に在りて貴顯豪商紳士の家に大小夜會の催ほしあるは毎度見聞する所なれども本來日本夜會の趣向は西洋風を其儘に移して室内の装飾、座間の餘興は申すに及はず參會の時間に至るまで總て他を眞似たる者なれば之れに慣れたる西洋人は自國の夜會を其儘に見て左まで珍らしきを感せず之れに慣れざる日本人は徒に窮窟殺風景なるを見て其興味の濃かなるを覺えず自他共に大に滿足せざるの内情あるは夜會の能事を盡くしたるものに非ざるが如し抑も西洋の夜會中ソアレと云ひコンパルサゼオテと云ふが如き男女交際の習慣を爲して婦人が談話の中心と爲り面白可笑しく語り合ふ西洋男女にこそ適すべけれ從來斯かる習慣なき日本の男女には興薄く又彼のボール即ち舞踏會の如き小兒らしく且つ武骨なる運動を悦ぶ西洋男女には妙なる可けれど温順優美を旨とする日本の交際風に於ては少しく大人しからざるが如し左ればとて彼の倶樂部流の無禮講、喫煙音樂會の如き妙は即ち妙なれども西洋人中には來客に夫れ相應の藝人ありて氣輕く得意の藝を演じ唱歌音樂レシテーシヨン若くは手術落語の類大に座興を添ゆれども稠人廣座の其中にて日本の淑女紳士方に都々一端唄の注文を爲すは甚だ以て恐れあり特に嚴格の夜會などには御塲所柄をも會釋せざる可らずかたがた以て日本にて夜會多人數の餘興として男女雙方の氣に入るものは極めて稀なる可しと雖も我輩は其趣向の一端として芝居を導くことを勸むるものなり今若し芝居を夜會に導き鹿鳴館以下の宴會所に平常小舞臺を備へ置きて主客の應對、來賓の談話、立食酒茶の饗應も夫れ夫れ其終りを告げたる處にて扨て幕を上ぐるの趣向と爲し芝居の種類は樣々ならんが先づは優美風流なるか或は諧謔洒落なるか要するに慘酷猥陋なるを避けて淑女紳士の好尚に投ずることを謀り其向きの巧者が夜會的の狂言を案じたらば芝居、手踊、能狂言其他種々の流儀を〓て之を小仕掛の舞臺に合せ優美温雅なる名趣向も次第次第に出來すべく或は西洋芝居中前座の一幕物に仕組みて役方の數も至て少なき彼のフハース風の狂言を導く抔の工風も妙なるべく斯くて次第に流行を致さば啻に夜會の興を助くるのみならず彼の芝居道に於て一派座敷風の流儀を開くことも爲る可し兎に角に今日の夜會にて餘興の趣向に窮するは毎度我輩の見聞する所にして一夕芝居を導きて大に喝采を得ることもあらば忽ち其流行を見ることならん然るに爰に不都合なるは右等の席に役者を招くに從來種々の陋習ありて十人を雇はんとすれば二十人も三十人も供連れを引きて祝儀と云ひ心附けと云ひ雇賃の分配に無量の混雜を見ること是なり役者の雇入に謂はれもなく餘分の費用を要するに於ては夜會の催主も乙甲に思ひて自然に斷念せざるを得ず是亦人事の常情なれば一方の芝居仲間に於ても能く此邊に機轉を運らし双方便宜の爲めに夫れ夫れ役者の組を作り例へば大番組は市川何々尾上何々を始めとして總數何人に就き一夜何程、中番組小番組は更に其役者の數を減じて凡そ何程と値段附を定め此値段を外にして別に祝儀心附等を要せず之を雇ふに簡便にして夜會に芝居を導くこと誠に容易なりとすれば日本男女の氣に入るもの孰れか芝居に若くものあらんや夜會芝居の評判を得て到る處に其催ほしを見る可きは我輩の今より保證する所なり斯く云へば人或は説を爲して凡そ夜會を催ほして大勢の人を招待する者は貴顯豪商紳士の類、一口に金持連中なるが故に此人々が役者を雇ふに祝儀や心附は何かあらん云々の申分もあらんかなれども百萬圓の金持が其一圓を費して九十九萬九千九百九十九圓と爲るも常人百圓の嚢中より其一圓を失ふて九十九圓に減ずるも其一圓金を吝むの情は雙方毫も相違なきのみならず眞實金を大切にするは常人よりも寧ろ金持の方に多かる可きが故に今の芝居仲間の成行に任せて役者を雇ふに浪費を要し萬端不便勝なるに於ては富豪家夜會の趣向を案じて芝居の妙なるを發見するも之を事實に行ふは極めて稀なることなる可し昔し獨逸に有名なる音樂帥スポルなる者あり或る時倫敦ロスチャイルド家の創業家ナサン ロスチャイルド氏(ナサン ロスチャイルド氏は千八百十五年ナポレオン第一世ウオータアルーに敗戰するを目撃して暴風雨を冒して倫敦に歸り英國公債證書を買占めて大に身を起したる人にして今のロスチャイルド男は其孫に當れり)を訪ひ當時獨逸フランクホルトに家したる伯兄ロスチャイルド氏の紹介状を出して慇懃に贔負を乞ひたるにナサンは手をヅボンの隱しに入れて金貨をガラガラ鳴しながら「音樂の儀は拙者一向に存じ申さず此ガラガラが拙者の音樂で御座る」との一言に流石の音樂師も只茫然たりしとの奇談あるを見ても亦以て金持の胸懐を窺ふに足るべく芝居仲間の人々も略ぼ此邊の趣を解してなるべく役者の雇方を便にし貴顯豪商の宴會に毎々芝居の餘興をみるやうの都合と爲らば來賓の爲めにも役者の爲めにも又夜會の催主の爲めにも共に頗る妙なる可きなり