「衆議院議長」
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時事新報に掲載された「衆議院議長」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
衆議院議長
帝國議會の開設も愈々間近となりたるに就き世間擧て其用意の談に忙はしき折柄、衆議院議長候補者の品定も亦その中の一要素たるが如し憲法の規定する所に據れば衆議院の議長副議長は其院に於て各々三名の候補者を撰擧せしめ其中より之を勅任す可しとありて議長の上任は即ち勅命に屬すと雖も候補者の撰擧は固より議院の自由に存する事なれば議院は成る可く適任の人物を撰擧して以て其採擇に供するの心掛なかる可らず抑も議長の職たるや議院の秩序を整へ議事を理し院外に對して議院を代表する其任重大なるが故に院中第一流の人物を撰擧す可きこと勿論なりと雖も其撰擧の方法に至りて特に注意を要するものあり如何となれば其方法たる後來議院の習慣上に大關係を及ぼす可ければなり西洋諸國の例に據れば議長撰擧の習慣は一ならずして議院に於て有力なる黨派の領袖たるものを撰擧して其任に當らしむるものもあり佛國の如きは即ち其例なれども英國現行の習慣にては議院の議長必ずしも政黨の領袖ならず唯院中の長老とも云ふ可くして議塲の整理は勿論、議事の典故にも明かなる人物を推して其椅子に据え黨派の異同には毫も關係なしと云ふ國々おのおの特種の習俗慣例あることなれば其いづれを是としいづれを非とすること能はざれども今茲に我國の議院に於ては孰れの方法を採用す可きやと云ふに我輩は英國議院の習慣を以て最も適當なる可しと考ふるものなり盖し從來の府縣會などにては議長及び常置委員は常に會中の有力者にして議員中に黨派の分るゝ所などにて〓〓くは有力なる黨中より之を出すが如し即ち今の府縣會の議長は佛國の議院の如く黨派に關係するの習慣を〓したるものと云ふ可し今夫れ帝國議會と府縣會とは事體相異にして議會は自ら議會の體を保ち府縣會は自ら府縣會の風を存することならんと雖も兎に角に府縣會は我國議會の手始にして其所作擧動は年來深く人の耳目に印するが故に茲所に養成せられたる習慣の力は決して蔑視す可きものにあらざれば或は帝國議會開設の上衆議院議長の撰擧にも知らず識らず此風を輸入することなしと云ひ難し然るに議院が第一着手の擧動は永久の習慣を成すものにして其習慣既に成るときは之を破ること實に容易ならず即ち子孫萬世の利害も此處の一擧動に決する次第なれば今日恰も利害分目の局に當るものは其責任極めて重大なりと云はざるを得ず抑も議院開會後の模樣は豫め卜知す可きにあらずと雖も今の政治の有樣より推測すれば聊か其大勢を想見するに足る可し民間の政黨が政府の處置に反對して之を攻撃するは元と是れ自然の勢とも云ふ可きものにして既に議院を開きて公に其反對攻撃の塲所を與へたる上に此事あるは固より覺悟の前の事ならんなれば毫も怪しむに足らずと雖も茲に注意す可きは同じく政府に反對なる民間の政黨が其黨派の仲間に於て互に相轢るの一事なり此事たるや民間黨の爲めに謀れば非常の不利なるに相違なけれども今日の勢にては到底免る可らざるの運命にして或は開會早々の際には議員たるものも政務の調査には未だ至らざる所あるよりして其論鋒を一轉し却て其敵を同胞の議員中に求めて餘勇を洩さんとし遂には議長の地位を以て雙型の爭點となし互に之を爭ふなどの奇相なしとも云ひ難し草創の我帝國議會百事不慣にして動もすれば混雜を來すの恐れなきにあらざるに之に加ふるに議長の地位を以て政黨爭論の點ともなすが如きあらば議塲の整理を妨るのんか恰も惡例を子孫萬世に遺すものにして其利害得失は識者を待たずして明白なる可し而して其利害得失の分目は實に第一回の議院に在り英國の習慣果して則る可くんば當局の先輩たるものは大に今日より考ふる所なかる可らざるなり